2006年07月31日

保険会社のコマーシャル見てウダウダ

最近、保険会社のテレビコマーシャルが増えた、ように感じる。

ダイレクト型なんて言葉、十年前にあっただろうか?ネットの普及もあって、直販の胡散臭さも随分薄らいだように思う。ただ、どのような状況においても、売買が「売り手と買い手の綱引き」であることは変わらないから、例え、安さ、解り易さに惹かれても、しっかり契約内容を確認しなくちゃならないことは変わりがない。(気安くなった分、より慎重さが求められるくらいかも。)

とりあえず、コマーシャルを穴が開くくらい集中して見る。

駄目だ。クリップボードを持ったお姉さんの「何か企んだ」笑顔が気になって集中できない。再度見る機会を得るものの、お姉さんの口元、柔らかく吊り上がった両端を見ている間にコマーシャル終了。

「これは何かの罠だ!」と叫んでみたい。

録画してコマ送りで見ようか?とも考えたが、そんなことするよりは資料請求した方が良さそうだ。結局、面倒臭くなって考えるのをやめた。

以上のような身の無い話を友人にしたところ、「どっちかと言うとコマーシャルの中の【キー閉じこみ】という言葉の方が気になる。」と言われた。「【閉じこみ】って語感に馴染みが薄い。」というのだ。【閉じこむ】でもなければ、【閉じこめ】でもない。彼曰く「【キート仕込み】に聞こえる。」そうだ。その道云十年、当代きっての職人、キートが仕込んだ・・・キートって誰だ?

とはいえ、僕も【閉じこみ】って言葉に馴染みが薄い。【閉じこむ】は動詞っぽいから、【閉じこめ】なら、どうだろう?

なんだか、意識的に【閉じこめ】た感じがある。しかも、【閉じこめ】られた!と感じる意識も認識できる。虫や何かというより、哺乳類、人間っぽいなぁ。あぁ、嫌な感じだ。意識的に、一番深く罪悪感を抱きそうなモノに悪さしたような。


【閉じこみ】というのは【み】で終わる。【み】で終わる言葉を考えてみた。

味噌煮込【み】
駆け込【み】

どちらも後ろの言葉を省略している感じがある。

味噌煮込【み】(うどん)
駆け込【み】(寺)
駆け込【み】(乗車)

【閉じこみ】には何か言葉が省略されているのだろうか?

【閉じこみ】(事故)?

う〜ん、これだと「挟まれて重態」ってイメージが先に浮かぶ。

日本語難しい。
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2006年07月27日

残るもの、消えるもの

 残るもの、消えるもの

 学生時代、国語の教科書に「記憶」にまつわる話が載っていた。
 エッセイで友人との会話形式だったように思う。

 筆者は旅行の際、何枚も写真を撮るのだが、友人はほとんど撮らないという。「何故撮らないのか?」と尋ねると、「記憶しようとする意思が薄れるから」という答えが返ってくる。「記憶」を残すために撮った写真が担保になり、意識的に風景を観なくなる、と。筆者は会話の中で、友人より記憶を残せていないことに思い至る。「記憶」を残すことに夢中になり、記憶が残らない。確かこんな話だった。もう少し長い文章だったような気もするが、前後の文章は忘れてしまった。その他に覚えていることと言えば、教師が「今を真剣に生きろ!」みたいなテーマに広げていたことくらいで。(当時は今以上に「真剣に生きる」って意味が判らなかった。教師自身が真剣に生きているのかも判別不能だったし。真剣って何だろね。)

 まぁ、いいや。

 今生の別れと思えば、何気ない日常よりは記憶に残るだろう。一度きりって思い込むことで出てくる火事場のくそ力みたいなものもあるだろう。「人間はほんの数パーセントの能力しか生かしていない」って北斗の拳でも言っていた。うん。

 とにかく、この文章を読んだ頃くらいから僕は写真を撮らなくなった。ここ最近まで頼まれてシャッターを押す以外にカメラに触ったことが無い。(携帯の写メールって便利よね。)青年期の刷り込みがいかに根強いものか分かって頂けると思う。

 しかし、顧みて自分が意識的に生きてこられたか?というと、大いに疑問が残る。大概、無自覚に生きてきた。人生、ごめん。僕に吸われた酸素、ごめん。

 結局のところ「意識的に生きている人間の一部が、写真を撮らないのであって、写真を撮らないと決めた全ての人間が、意識的になれるって訳じゃない。」なんて、ありきたりな結論に行き着く。

 思い返してみると、随分と胡乱な人間なので、ほとんどの記憶が断片的なイメージでしか残っていない。トレースできるのは、自分が面白がったものを中心に、半径50センチくらいの興味を細い糸にして繋いだ記憶のワッカ。だから、大好きな映画の話をする時でさえ、正確にあらすじを語れない。悲しいことだが、考えても無駄なので、気に入ったものは忘れたころに手にとって観返すことにしている。ザルに水を溜めたいなら浸けておこう。とりあえず、水が溜まっている気分は味わえる。

 このようにして同じものを何度か観ることがあるのだが、毎度、同じ感覚を味わうとは限らない。体調、心境の変化?何がきっかけになるのかは分からないが、以前面白がった所がそうでもなかったり、気にならなかった所が印象に残ったり、と感覚に変化がある。(元々の読み取りが甘かったって可能性もあるけど。)そういうのが楽しくもある。

 記憶って何かって考えると難しい。一期一会の精神も確かに大切だけれど、予備知識無しに見たり、ぼんやりと眺めたり、ポイントを定めて観たり、様々な角度から見ることで補完されることもある、と思う。

 映画館一度っきりじゃあ、多分、人の半分も記憶に残らないから、大好きな映画は手元に残す。真っ当な人生を押しのけて、DVDを買い散らかしてゆくのだ。なけなしの銭を撒き散らして地に堕ちていくのだ。わはは。
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2006年07月24日

メイド喫茶にいく

 メイド喫茶にいく。

 とある理由で、メイド喫茶にて昼食を取った。
その雑感。

 店のキャパシティは45〜50人程度だったが、ウェイトレスの数は5人。通常の喫茶店なら、多くて3人くらいだろう。メイドさんが目玉の商売だから当然かもしれないが、人件費は多く掛かりそうだ。調べた限り、時給は1000円程度。通常の給仕さんよりは高いだろうが、思ったより高くない。



 通常の喫茶店との違い。

・特有の言い回し。「お帰りなさいませ(行ってらっしゃいませ)、旦那様(お嬢様)」等。
・画一化された化粧。内規がありそう。
・客の行動に対して禁止事項が明記されている(撮影禁止等。普通の喫茶店では注意する必要の無いことが必要になるのね)。
・服装。フリルのついたメイド服
・内装。絵皿、紅茶の缶などを外壁に飾っている。



 服にしろ、内装にしろ特にお金が掛かっている様子は無く、雰囲気作りに止まる。店の外観(内装、服)よりも給仕さんの内規にメソッドがありそうに感じた。給与以上に仕事が複雑に見えたのだが、よくこなしていた。なりたくてなる仕事だからかもしれない。

 味は中の中。価格もごくごく平均的。しかし、店内はほぼ満席だった。通常の喫茶店ではこうはいかない。仮に自分が経営者になったつもりで、50人規模の喫茶店を満員にする方法を考えてみた。浮かばない。ぜんぜん、浮かばない。

 低価格路線、ドトールやスターバックスみたいなのは、大規模にチェーン展開できる資本が無いと無理っぽい。看板が大きな鍵だから。

 味で勝負といったところで、それは正直に価格に反映される。高くて美味しいものは他にも在る。

 値頃感を出そうとすると薄利になる。ていうか万人がコーヒー、紅茶の味に深い関心を持っていると思えない。価格、味のみでの目標達成は厳しそうだ。

 そう考えるとメイド喫茶はよく出来た商売だと思う。立地の問題はあるが、運営に特異な技能が必要なくフォーマットが存在する。見た限り、回転率が高く、リピーター率も高そうだが、人件費以外には特別な費用が掛からず、高収益を保てる。

 コンセプトの勝利かなぁ、と。
posted by ねこめ〜わく at 21:23| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月21日

殺人捜査

 殺人捜査

 ストーリー   allcinema引用

 ローマ市警の本部長が、愛人と口論のあげく、彼女を殺害してしまう。警察の捜査が進む中、彼は自白するが、当局の上層部は誰もそれを認めない……。権力の甘い罠をテーマにした社会派ドラマの傑作。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=8768




 社会派ドラマという側面もあるのだろうが、僕には虚栄心の話に思えた。ひずんだ自分を 立派に見せる肩書き。この男の場合、役人でその上、警察の偉いさんってところに権威と権力の衣があって、多くの人間は容易くなびいてしまう。しかし、そのような枠組みも、外にいる人間にはあまり用をなさない。愛人に本質を突かれて、取り乱し、殺してしまう。たくさんの証拠が残したにも関わらず、捕まらない私。さすがは本部長、かすり傷一つ無いぜ。しかし、考えてみると、私は誰の目にも映らないのか?愛人に突かれた部分は確かに自分だった。今の私は何処にいる?こんなに私の痕跡を残しているのに、どうして、皆が素通りするのか?何故だ?こんなに偉い私を、何故見ようとしないのだ?

 なーんてな。
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2006年07月20日

「老い」の瞬間

 昔、読んだエッセイの中で、ある女性シンガーが老いを自覚した瞬間について吐露した文章を思い出した。夢を見せることを生業にする彼女たちにも、自失する瞬間がある。僕はこのことに強い衝撃を受けた。


 幸い、今まで年を感じることはなかったのだけれど、ついに僕にもやってきた。
 彼女が体感したものと全く同じ「老い」の瞬間が。



 天下一品こってり特大完食ならず。

 空腹にも関わらず完食できなかったことに、一つの時代の終焉を感じた。さらば、青春の光。今ならば笹野みちる御大の気持ちが分かる。

 天下一品・・・通称「天一」。京都に本店があるラーメン・チェーン。高濃度のスープと、そのスープによく馴染むモチモチ麺が特徴。食したことのない諸兄には、どれくらいの濃度か分かって頂けないと思うので、実例を上げる。「鉢の中心に箸を差し込んで、手を離す。倒れない。」他に無い味で、友人の言葉を借りるなら、「あれはラーメンというより、天一。」
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2006年07月15日

暗黒街の弾痕

暗黒街の弾痕



ストーリー 

刑務所を出所した前科者エディは、恋人のジョーンと結婚し、真面目に働いてゆくことを決意する。しかし、世間の前科者に対しての風当たりは冷たい。エディは真面目に働こうと思っていても断られ、宿にも泊まれず怒りと苦しみだけが募ってゆく日々。そんな時、銀行が何者かに襲われ、エディに濡れ衣が着せられる。

http://www.pc-success.co.jp/dir/catalog/V0116/V01162F501O0E.html






 原題「You only live once」。訳すなら「人生一度っきり」となるのかな?


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2006年07月14日

影なき裁き

 影なき裁き

 ストーリー  DVDジャケット引用

 アフリカでヴードゥー教の恐ろしい体験をして神経を病んだミッション・スクールの女教師グエンは、回復してから英国の片田舎の私立学校に職を得た。遠路遥々やって来たグエンを町の人々は暖かく迎え入れてくれたが、やがて彼女の周辺で奇怪な現象が起こり始める。1人調査に乗り出したグエンだが、そこは邪教が支配する恐ろしい町だった!


 
 
 ハズレを引いた時、リアクション過程。

 自身の不見識さ、見立ての不味さの認識。何に惹かれて手に取ったのか冷静に考えて、自分の弱点を覚えておく。同じ過ちを繰り返さない為の検証。具体的には作品の製作過程、製作関係者、関連作品のチェック。距離の取り方を把握できたなら、精神衛生上、その作品で楽しめる場所を探す。

 製作が1966年なんだけど、この頃は邪教崇拝ネタはタブーだったらしいのね。ロマン・ポランスキー監督の「ローズマリーの赤ちゃん」でさえ、この二年後の作品だし、最先端かも。

 主演は「レベッカ」、「断崖」のアカデミー賞女優ジョーン・フォンテイン。しかし、この映画の演技は(現在の感覚でいくと)相当オーバーアクションなので、当時どのように捉えられていたのか?気になるところ。この映画の演出方法が不味かったのか?それとも、全般的にこういう演技が受けたのか?舞台でも、無声映画でも似合いそうに無い演技が感慨深い。
 
 純朴さが裏返った時の恐怖は普遍的なテーマである。

 儀式の様子も学園祭の出し物感覚で観たら楽しい。

 脇を固める役者さんにキャラが立っている人が二人ほど!

 ハマー・フィルムのあだ花として、エポック・メイキングとして!(要はハマーに興味が無い人間は観る必要が無いってこった。)
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2006年07月13日

ローズ・イン・タイドランド

 ローズ・イン・タイドランド

 ストーリー   
 「不思議の国のアリス」を愛読するジェライザ・ローズ、十歳。彼女の日課は両親の「世話」。具体的に言うと、元ロックスターのパパがクスリで「バケーション」することのお手伝い。すっかり太ってしまったママの脚をマッサージ。
 パパはお気に入りの「ユトランド」の地図を前に今日も「バケーション」。旅から戻ると寝ているローズを揺り起こし、二千年以上も地底で眠り続ける「沼男」の話をする。翌日、クスリのやり過ぎでママが亡くなる。ママを盛大に送り出したあと、パパとともにローズは旅に出る。「ユトランド」を目指して。



 監督、テリー・ギリアムは現実とメルヘンの地続きを描く作家さん。SF、ファンタジー、アクション、サスペンス、ホラー。映画館には浮世離れした話がザラにあるけれど、ギリアムさんの作品の特徴はその境界を強く意識させるところある。

 タイドランドは干潟の意。大地と海の間。

 現実もメルヘンもそれ単体で終わらない。現実がメルヘンを生み、メルヘンに生きることで現実に若干の影響を与える。ただ、当然のことだが、ありきたりな思念ではその境界を行き来できない。主たるキャラクターは強力な思念の拠り所を持つ者である。偶然、とばっちりのケースもあるが、彼らが立った地点はちょうど境界線上で、僕たちが立ち入れない場所である。(実際に行き来できる人は保護者同伴で病院へ行こう!)

 だから、彼らを観ているだけで、面白い。彼が何を避け、何を求め、何に壁を感じるのか?体感することは無いけれど、これらの問い掛けは僕たちの心の中にもあることだから。

 登場人物が境界線を易々と行き来することに違和感を覚えるかもしれない。けれど、その引っ掛かりこそが彼の作品の印象になる。逆にいうとあって当然。だから、憐れんだり、呆けたりしなくていい。登場人物は立派に生きている。

 大入り満員、立ち見も出た上映の客層はほとんどが女性。期待していたモノとは少々違ったみたいで、フラフラとその場を離れていった。

 ギリアムさんの映画は明るいメルヘン、暗いメルヘンと大抵しっかり分かれるのだけれど、本作はどうだろう?今までの作品は多分暗い方が多い。けれど、本作は簡単に識別し難い。人による、だろうか?

 「サイレント・ヒル」でも娘役で良いトコを持っていったジョデル・フェルランドが主演。映画を観て、「これは彼女しかできない演技だ」と認識した。人形の頭を指人形に見立てての一人芝居は天才子役ダコタちゃんにさえ不可能に思える。
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2006年07月12日

チョコミント

 チョコミント

 ハーゲンダッツには、チョコミントが無い。


 理由は分からない。

 大人の男女の至福のひとときを示さないほど、スノッブだからか?
 技術的にどこが作ろうが同じ味になるからか?

 ともかく、ない。



 そもそも「ハーゲンダッツに是非作って欲しい!」と切に願っている訳では無いのだが、町に出て、見かけるアイスと言えば、ハーゲンダッツ。このことはサーティワン派の僕にとっては苦々しいことだが、現に選択肢無いのだから、ハーゲンダッツは観念して、チョコミントを作るべきだ。



 チョコミントのファンは少なからず居る、はず。
 
 カクテルにもチョコミント味はある。その名はグラスホッパー。日本語に訳したらバッタ。カクテルの色が若い緑だから、そういう名前が付いたのだろう。

 ただ、カクテルに強いバーでなければ、材料となるホワイトカカオのリキュールが置いていない。よって、そうでないバーだと、黒いバッタを飲むことになる。大丈夫、味に変わりは無い。

 昔、とあるバーで泥酔した自称、香料会社の役員さんと酒を酌み交わしたことがある。と言っても、たまたま、そこに居合せただけだが。

 彼曰く、香りというものはサッパリ目はサッパリ目と、コッテリ目はコッテリ目と掛け合わせるのがセオリーなのだそうだ。そこからいくと、チョコとミントの組み合わせは例外にあたる。また、そういう例外が優れていることは珍しいことなのだそうだ。

 話半分で聞いて、確認を取っていないので真相は分からないが、まぁ、話半分で酒の肴にでも。
posted by ねこめ〜わく at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 甘味 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月11日

サイレントヒル

 「サイレントヒル」

 ストーリー   公式ホームページ引用

 その街に、一歩踏み込めば、後戻りはできない・・・
ローズ(ラダ・ミッチェル)とクリストファー(ショーン・ビーン)は、赤ん坊の頃に養女として引き取った娘、シャロン(ジョデル・フェルランド)の奇妙な言動に悩んでいた。

 ふだんは愛くるしい9歳の少女シャロンは、しばしば情緒不安定に陥り、何かに取り憑かれたかのように「サイレントヒル……」と謎の呻き声を発するのだった。

 そんなシャロンの異変に心を痛めたローズはウェストバージニア州にサイレントヒルという街が実在することを探りあて、シャロンを連れてその街を訪ねることにする。

 サイレントヒルは30年前に大火災が発生し、無数の人々が死亡した忌まわしき事件により、今は誰も近づかない、廃墟と化した街だった。携帯電話で連絡してきたクリストファーの制止をふりきって、サイレントヒルへと続く狭い山道をゆくローズ。

 しかし不意に路上に飛び出してきた少女を避けようとした彼女は車ごと山腹に突っ込み、そのまま意識を失ってしまう。

 夜が明け、目を覚ましたローズはシャロンの姿が消えていることに気づく。あたり一面、霧に覆われた道を歩き出した彼女は「サイレントヒルへようこそ」と記された看板を発見し、全くひと気がなく、不気味なまでに静まり返った街の中へと足を踏み入れる。

 やがてシャロンらしき子供のシルエットを目撃したローズは、その影を追って、街の中を彷徨い始めるのだが…

 次第に明らかになっていくサイレントヒルに隠された忌まわしい秘密。

 30年前、何がサイレントヒルで起きたのか?

 なぜ、シャロンはこの街に消えたのか?

 そして、想像を絶する恐怖の迷宮に囚われていくローズは、サイレントヒルから抜け出すことが出来るのか――。




 何より、クリーチャーが良い。

 異様で気味が悪く、それでいて目を惹く美しさがある。この作品はゲームの映画化なのだが、キャラクター・デザインはゲームから引き継いだのだろうか?ゲーム版は手を付けていないのだが、このデザインはすごい。映画に出てくるクリーチャーにはさまざまなものがあったけど(甲殻系とか内臓系とか)、基本「人」、動きで気味悪がらせるってのは新鮮だった。「人」っぽいから質感が伝わってきて、何か叫びそうで、怖い。

 クリーチャー・デザイン、パトリック・タトポロス。あんたは偉い。この人が関わっている映画を探してみると、一つあった。「アンダーワールド・エボリューション」。・・・今度見てみます。


 監督はクリストフ・ガンズ。その他の監督作品「ジェヴォーダンの獣」「クライング・フリーマン(池上遼一先生の!)」


 シャロン役ジョデル・フェルランドは存在感がある。子役って往々にして他の役者を食うことがあるけど、今回もそんな感じ。ローズ役ラダ・ミッチェルに較べると時間にして半分くらいしか画面に出てこないけど、印象に残るのはジョデルの方。この子が出ている他の作品観てみたいなぁと調べてみると、テリー・ギリアムの「ローズ・イン・タイドランド」で主役を張っていた。そりゃあ、演技うまい訳だ。 
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2006年07月10日

M:I:V(ミッション:インポッシブル3)

 M:I:V(ミッション:インポッシブル3)

 
ストーリー  パンフレットから引用

 今は第一線を離れて教官として日々を送る*IMFのエージェント、イーサン・ハントは、恋人ジュリアとの婚約パーティーの途中で突如ミッションの依頼を受ける。ブラックマーケットの商人、オーウェン・ディヴィアンの監視任務にあたっていたイーサンの元訓練生、リンジーが拘束されたという。エージェントのルーサー、デクラン、ゼーンと共に、リンジー救出作戦を開始するイーサン。敵との激しい攻防の末、イーサンは何とかリンジーを救出するが、リンジーの脳に埋め込まれた小型時限爆弾の作動停止に失敗し、その命を救うことができなかった。
監禁場所から押収したラップトップPCから、ローマでディヴィアンの取引が行なわれることが判読され、イーサンはディヴィアンを拘束すべくルーサーたちと共にバチカンに向かう。だが、イーサンが自分に課したその“ミッション”は、イーサンの真実の姿を知らないジュリアの身を危険にさらすことになるのだった。ディヴィアンの周囲に飛び交うコードネーム、“ラビットフット”とは?そしてリンジーが秘かにイーサンに当てたマイクロドットに隠されたメッセージの内容は?ローマ・バチカンでのミッションが進むにつれ、やがてイーサン自身もこれまでになかった絶体絶命のピンチに陥ってゆく――。


 *IMF=International Monetary Fund(国際通貨基金)ではなくて、Impossible Mission Force。exciteな翻訳でだいたいの意味を取ってみる。不可能任務軍。お見事。



 導入部はわりとスローテンポですが、スイッチが入るとつるべ落としのようなアクションが目白押しです。また、前2作に較べるとドラマタッチです。「24(トゥエンティ・フォー)」に通じるような作風で、主人公の苦悩が強く描かれています。展開がガラリと変わる箇所もあり、その点も「24」に通じます。話の粗に目がいってしまうところも。

 この映画は大きくお金が掛かっているのですが、テレビドラマのように見えます。これだけお金が掛かっているのに、テレビドラマっぽい。何故だろう?

 ぼんやりと思うことは「この作品がとても分かりやすい」ということです。本作では一箇所だけ、意図的に説明されない部分があるのですが、基本的にはすべての問いに対し、答えが用意されています。意図が分からないものが出てこない。

 このことは「図らずも見てしまう可能性があるテレビ」と「意図的に劇場まで足を運ばないと目にする機会が無い映画」との違いなのかもしれません。テレビの方が敷居が低い分、丁寧な説明を必要とするのかなぁ?と。

 本作は、大変迫力があり、作りこみも丁寧で、そつが無く、アクション映画としたら十分に及第点は超える作品です。これ以上のアクションはなかなか見当たらない。これほど大画面に見合う映画も少ないことでしょう。劇場でハラハラしたい人にはもってこいです。金額分以上に充分楽しめます。

 ただ、映画好きとしましては、何か物足りなさを感じる。作品が解説されすぎているからかなぁ?サッパリしていて、あんまり余韻が無いのです。鑑賞中のインパクトと劇場を後にして残る印象のギャップが激しすぎるので、そう思うだけかもしれません。

 ディヴィアン役のフィリップ・シーモア・ホフマンはやっぱり凄い役者さんです。怖い。かっこいい。得たいの知れなさはさすがオスカー俳優。後期マーロン・ブランドを継承するのは彼しかいない。と、思います。

 トム・クルーズは今回も全力疾走。映画「コラテラル」の時も殺し屋なのに、自身の足をいかんなく発揮しておりましたが、今回も歯を噛み締めて、手足を大きく振り、全力で自身の限界に挑んでいます。

 このシリーズを1〜3と観て、分かったこと、思ったこと。
IMFのメンバーの基本ユニットは4人。
トム・クルーズ以外のメンツは目立たない後方支援。
主役以外の役でシリーズを通して出てくるのはルーサーのみ。
1のルーサー役ヴィング・レイムスが唯一、トム様を喰っているが、その後の作品ではお得意の笑顔を見せない。目立たない。(印象が薄いので、2,3のルーサーは別人が演じていると思っていました。1のルーサーだけがよく笑うから、彼だけは実のところマイケル・クラーク・ダンカンではないかと。)
Googleイメージ「マイケル・クラーク・ダンカン」
http://images.google.co.jp/images?q=%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%B3&hl=ja&btnG=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E6%A4%9C%E7%B4%A2

 パンフレットは上品な作りの為、僕のような下世話な人間には少々物足りないものでしたが、一箇所だけ面白かったところがあります。それは監督のJ.J.エイブラムスがインタビュー。「この作品で一番怖かったところ」と聞かれて、トムがスタント無しで行なったアクションシーンを上げています。トムのプロ意識の表れなんだけど、監督としては、生きた心地がしないだろうな、と。
posted by ねこめ〜わく at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月09日

映画好きの怒り

 映画好きの怒り

 最近のことだけど、劇場で映画を観ると、こういうコマーシャルが流れる。

海賊版撲滅キャンペーン

映画が盗まれている
感動も盗まれている。
大切なものが汚されていく。
〜少女の頬を伝う涙が黒く濁っていく〜
テロップ「映画を守りたい。感動を守りたい。」
http://www.jimca.co.jp/



 著作権は正しく守られるべきものだ。海賊版の横行を認めてしまうと、業界全体が痩せ細ってしまう。大筋の主張まったくその通り。面白い映画が作られていくような土壌作りは本当に大切!

 
で、あるのだが、どうもこのコマーシャル、ひっかかる。

 まず始めの違和感は、見せる対象を誤っていること。劇場に足を運んでいる、少なくとも上映作品については海賊版を購入していない人間に、見せてどうする?間違っていない人間にお説教すれば当然ながら反感を買うと思うのだが。また、毒々し過ぎるコマーシャルなので、逆に誘惑の甘さを強調する結果にならないかと心配になる。


 また、僕のような狭量な人間が、それ以上に気に食わないことは、映画業界の問題を観客の問題にすり換えていることだ。「映画が盗まれている」これは正しい。しかし、それ以降は直接、観客には無関係だ。映画→感動と置き換えることはできても、感動→映画とはならない。そして「大切なものが汚されていく」とあるが、この言葉には意図的に主語が欠落しているように思えてならない。観客にとっての大切なものと言わせたいのだろうが、実質、映画業界の虎の子であろう?下手なプロパガンダは興を殺ぐ。誠実さが感じられない言葉に、誰が胸を打たれよう?


 論拠の曖昧さと共に、このCMに感じることは、自身を善悪の彼岸に置いた物の言いようである。確かに海賊版はそれを作る人間と、買う人間の問題といえる。しかし、問題はそれだけなのだろうか?密造者を取り締まり、大衆のモラルを高めることだけで、この問題は解決するのか?いや、それだけでは根本的な解決に行き着かない。海賊版が横行する土壌に全く手を付けていないからだ。そして、その土壌は他ならぬ、映画業界にある。


 映画に対する価格が高すぎるのだ。


 劇場まで足を運んで、一本1800円。これは平均的なバイトの時給みっちり二時間分にあたる。それが映画一本で消費されるのは正直、高過ぎやしないかい?

 そうは思わない?だったら、他の遊びと比較してみたらいい。

 カラオケ、ネットカフェ、漫画喫茶、スーパー銭湯、時間性複合型レジャー施設、どれと比較しても映画は、時間単位の費用対効果が図抜けて低い(単価が高い)。


 また、一本1800円もかかるとなると、軽い遊びとは呼べなくなる。リスクが大き過ぎるのだ。例えば、連れと映画を観に行くとして、三千六百円。それに飲み物、ポップコーン、パンフを含めれば、五千円を超える。消費されるのはたったの二時間。デートに使うにしてもちょっと考えてしまう。

 また、仮に「一人で倹約して観る」と仮定しても、大抵の人間が話題作しか観なくなり、業界が痩せ細ることが考えられる。誰だって割高な買い物には慎重になるもの。失敗したくない。で、あるなら、映画本来の魅力以外に価値がある作品に自然と流れていく。例えば、誰かとの会話に活かせる作品。誰でも知っているスターが出ていて、大掛かりで目を惹き、多額の広告費が使われているもの。付加価値がセーフティネットになるのだから、内容はスカスカで構わない。


 逆説的になるが、僕は本来、映画とは「つまらなくても、いいや」くらいの心持ちで観たとき、一番面白いものだと思っている。余裕なく映画を観ても、楽しいはずが無いからだ。「気を遣い、話題作りも兼ねて」では、映画そのものの魅力を損なってしまう。おみくじを引くような、真剣ながら軽い感覚が大切だ。


 また、大衆に「軽い遊び」と捉えて貰えないことは、映画業界にとってもマイナスである。失敗が許されない。畢竟、様々なセーフティネットに覆われて、作品一つ一つの個性を失う。同じような作品に観客は食傷気味となる。全体の興行収入が落ちる。


 負の連鎖を断ち切る為には、大衆の映画に対する敷居、要するに金額の引き下げが一番効果的であろう。

 それでは全体としての収入が下がる?いやいや、映画業界はたんまりと過分な収益を上げている。

 この長かったデフレの時代、映画料金は一切下がらなかった。のみならず、現在この時に至っても、映画料金は基本的に全国一律である。競争の無い市場が、社会の変容に順応できないのは至極当然のこと。経営規模の小さな劇場を保護する為、最低上映価格を設定するというなら理解もできるが、既得権益を守ることに必死で、商売の基本、顧客に対して誠実であるという姿勢が見えてこない。これでは、収入の減少は相応の定めという他無い。


 確かにいくつかの営業努力の中で、料金の一部を観客に還元しているものもある。夫婦五十割引(どちらかが50歳以上なら、夫婦で2000円)、高校生友情プライスサービス(高校生3名以上で一人1000円均一)等。しかし、これらの還元は新規開拓に限られている。既存の顧客に対しては、既得権益を死守する構えに変わりがない。ロイヤル・ユーザーを蔑ろにし、その利益はまるまる抱え込み、自身が痛みを伴わない部分でのみ譲歩している、に過ぎない。


 そして、価格の信義則を見事に破っている。かたや、よく観に行って1800円。かたや、それほどではなくて1000円。大雑把に捉えてその差、二倍弱。開きがあり過ぎる。しかも、「正規の金額を支払った顧客が、割引の顧客に席を取られ、映画を鑑賞できない」なんてことも起こり得る。別に割引対象者に対し非難を向けている訳では無い。「サービスが不均等であり、経済の合理性から考えても不自然。故に、映画業界に対する不信感おこる。」ということだ。


 興行収入で収支を合わせた映画業界はその後、その作品をDVD化する。黒字を出した作品は更に利益を得る為に、赤字を出した作品は少なくとも収支を合わせる為に。しかし、DVDは作品の本上映より高くなることが当たり前。劇場では1800円でも、新作であれば4000円程度はする高い買い物になる。より失敗はしたくない。間違いなく顧客自身が欲するモノを手に入れる為にはどのようにすれば良いのか?


 それは簡単な話。映画館に行けば良い。もし海賊版に同様の即時性があったとしても、劇場鑑賞料が同等の場合、多分、人は海賊版に流れない。違法行為を超える分のインセンティブが無いからだ。ただし、現状は違う。現状の鑑賞料は明らかに高いのだ。

 仮に、映画代が現在の半分になったと考えてみよう。海賊版は確実にその数を減らす。もし密造者がその流れに踏みとどまり、それより安い価格で商品帯を販売を継続しようと考えても、利益が半分以下になる。そして、そこには脱法するほどの旨みが無い。彼らにとっても、別のインセンティブが存在するのだ。また、料金が下がったら、劇場で映画を観る機会も理論上、2倍。欲するモノと出会う機会も2倍となる。お財布事情を考慮しても、DVDの市場は確実に活性化する。



 質問が一つある。

 もし、あなたに本当に手元に残して置きたい作品があったとしたら、それを海賊版で購入するだろうか?品質も保証されず、不良品が出ても返品ができるかどうかも分からない。人にも大っぴらに貸せない品物を。




 僕なら手に取らない。

 しかし、それでいても、海賊版が生まれる市場の歪みは理解できるのだ。



 果たして、前述したCMを大衆に訴えかけるほど、映画業界は誠実なのだろうか?善意の消費者に海賊版の無い社会を求めるほど、彼らの行いが誠実と呼べるのだろうか?
posted by ねこめ〜わく at 11:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月08日

ミッション;インポッシブル話

ミッション:インポッシブル話

予習(ミッション:インポッシブル1,2の鑑賞)は深夜4時過ぎまで続き、仮眠を取って、朝一番で劇場へ行くことにしました。アクション映画と言えど、とっくに眠っている時間に二本立て続けはきついですね。正直「僕、何やってるだろ?」って疑問も浮かびましたが、基本「考えるな!感じろ!」ですよね。

一作目の監督はブライアン・デ・パルマ。「ヒッチコックの再来」と評されることも多いです。シナリオよりカメラワークに彼の魅力はあります。(逆に言うと、最近の作品「ファム・ファタール」なんか、シナリオはズタズタ。)この映像の面白さはどうにか説明したいですが、ちょっと今の僕には難しいです。僕の一押しは「ファントム・オブ・パラダイス」ですが、映像で言うと、「スカーフェイス」の成り上がるまでの前半部とか、「スネーク・アイズ」の開始早々10分を越える長回しとか、を観てもらえたら、面白さが分かって頂けるものと思います。本作「ミッション:インポッシブル1」で言うと、物語の始まりでイーサン・ハント(トム・クルーズ)が指揮する部隊が壊滅するシーンの長回し、その後ジョン・ヴォイト扮する上司との対話のシーンで挿入される、どちらのものか分からない仮想シーン等、目を瞠る映像が目白押しです。

二作目の監督はジョン・ウー。トレードマークは鳩と二挺拳銃。中学男子が夢想する格好良さを上手に映像化する監督です。冷静に考えると、ちょっぴり幼い空想で、恥ずかしいあたりが、魅力です。いつまでも大人になりきれない男の子の心に響きます。

posted by ねこめ〜わく at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月07日

ミッション:インポッシブル

ミッション:インポッシブル

ストーリー  allcinema引用
東欧で展開されたスパイ組織IMFの作戦は情報漏れのために失敗に終わる。多くの仲間を失ったイーサン・ハントは、これがIMF内の裏切者を見つけ出すための作戦だと言うことを知るが、その疑いは自分にかかっていた。真実を暴くために、死んだリーダー、ジム・フェルプスの妻クレアと連絡を取るイーサン。彼は、元CIAのクリーガーと天才ハッカーのルーサーを新たなメンバーに加え、武器商人マックスから得た情報を元に大胆不敵にもCIA本部への潜入を試みる……。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=50427

明日、「M:I:3」を観に行きます。前作とのつながりはなさそうですが、とりあえず、今から、1,2と観て予習しておきます。
posted by ねこめ〜わく at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月06日

フーリガン

 フーリガン

 ストーリー  goo映画引用

 大学でジャーナリズムを専攻するマットは、ルームメイトに麻薬売買の罪を着せられ、放校処分となってしまう。失意に沈む彼は姉の住むロンドンへと旅立ち、そこで姉の夫スティーヴとその弟・ピートと出会った。ピートはウェストハムの熱狂的なサポーターだ。彼に連れられての初のサッカー観戦で興奮したマットは、その直後、再び初めての興奮と快感を経験する。それはサポーター同士の喧嘩の中で得たものだった。
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD9037/index.html



 青春映画だから、語られるのは勇気、友情。これに勝利が入れば昔の少年漫画なんだけど、そこに入るのは暴力。何せ「フーリガン」だもんね。

 映画を観て思ったのが、暴力シーンの生々しさ。
 「わぁ、痛そう」

 ・・・でも、笑ってるよコイツら。スゲー。


 この映画は青春映画としても観られるのだろうけど、個人的にはフーリガンの生き方が観察できて面白かった。(この映画がどれくらい真に迫ったものかは分からないけど。)以下、気付いたこと。

 試合の展開に関係なく暴動が起こること。負けたとか、ミスジャッジとかに腹を立てて暴れる訳でもなく、相手チームのサポーターを見つけたら、ゴー。

 暴動がお祭りに似ていること。
 ・ 殴りあうのは罵りあった後。まずは、脳内のアドレナリン注入して、痛みを感じなくなるくらい高ぶってから。(祭りをより楽しむ為の下準備、儀式に見える。)
 ・ 度胸試しみたい。(相手が多勢でも逃げちゃ駄目)
 ・ 活躍した奴がヒーローなる。
 ・ ヨソ者排除、帰属意識の高さ。




 マット役にイライジャ・ウッド。ハーバード中退のインテリって設定なのだけど、ずるずると、そっちの世界に吸い寄せられていきます。こういう時、免疫が無い人ほどストンと落ちるものなのでしょうか?

 俳優にとって目が大きいって大きなメリットのような気がします。イライジャ・ウッドの目は相当大きい。「目は口ほどにモノを言う」なんて言葉もありますが、困惑、苛立ち、怒り、決意、等すべての感情が目に映る。この人、日本で言うと藤原竜也に似ています。その目が印象的過ぎて、すべての演技が同じに見えるきらいがあるところも。イライジャ・ウッドは『シン・シティ』にも出ていますが、ここでは目が軽く隠されている感じなので、別人に見えます。役柄、恐ろしいくらい強い猟奇殺人鬼。
posted by ねこめ〜わく at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月05日

会社内の自販機(飲み物)

会社内の自販機(飲み物)

当たり前のように買うものに、自販機のジュースがございます。350ml缶で120円、500mlペットボトルで150円。押しボタンに書かれた金額を見なくとも、財布からちょうどよい小銭を取り出すものです。二流品はともかく、これらは大抵が定価販売。まぁ、最近は世の中、世知辛くなっちまって、随分と価格も崩れてきてはおりますが、だいたいのところ、この原則は変わっちゃあいません。

ただ、高い確率でこの価格帯が崩れちゃってる場所もございまして、それが、今回の主題、会社内の自販機にございます。表通りに出ている普通の自販機に比べると、人目にも付き難く、そうも売り上げを望めそうに無いのに、何故か値下げしております。いったい、どうして?

取り上げず、缶ジュースの単価の内訳を考えてみましょうか?ざっくりと捉えまして、缶ジュースの原価は5円〜10円といったところ。そこにそれよりは高いだろう容器代、販売管理費、ジャブジャブ注ぎ込まれる多額の広告料が加わりまして、さぁ、一体どれくらいの金額になるものか?前ふり長くて申し訳無いんだけど、分かんない。資料が無いから。でも、ま、当て推量で、半額の60円としておきましょう。

ここに、二つの自販機があります。販売される商品は共に350ml缶。1台は価格120円、もう1台は90円と。仕入れ値は60円として、粗利は60円と30円。二倍の差が付いちゃった。ただ、ここには管理会社のコストが入ってない。管理会社はいかほどに貰っているのか?これも資料がないから分かんない。けれど、仮にそれが15円と考えると、粗利は45円と15円。あらら、三倍の差がついちゃった。

かれこれ、十数年前になるかな、友人の実家に自販機が置かれることになって、ひやかしにいったんだけど、そん時聞いた話では、月の収入は多くて5万円。正直、打出の小槌みたいに思ってたから、「なんだ、そんなモンか」ってガッカリきたんだけど、今考えると、割と現実的な数字かもしんない。1台置いて悠々自適なら、誰もが自販機を買い漁らぁ。友人というと、届く試供品を楽しみしていて、ちょうど、居合せた僕も口にしたもんだが、そこで得た教訓が一つをここで披露したい。

アンバサのストロベリーは死んでも飲むな。


話を元に戻しやしょう。1台数万円の副収入、個人と見れば割と大きい。かぁちゃんのパート代くらいにはなるかもしれない。けれど、会社の中に設置された自販機にはそれほどの利潤は無い。だから、表に置かれたものはともかく、中に置かれたものには、福利厚生的要素が強い、とも言える。

ここに競合する二つの商社がある。双方の顧客に隔たりはなく、どちらにも顔を出す。価格の違う自販機の前を通る度に、彼らが考えること。90円社・・・売り物である商品も値ごろだろう。120円社・・・無理は聞いてもらえそうに無いな。そして、また、双方の顧客が自販機の価格について吹聴したとする。一方の従業員は不当に搾取されていると考えるかもしれない。労働意欲が削がれそうだ。

本業に比べ利潤が小さく、福利厚生的要素が強い。それならば、利潤は捨てて、イメージを売りつけた方が良い。そう考える経営者がいてもおかしくない。

ごくごく最近、取引先の商社にある自販機の価格が下がった。ちょうど仕事上の競合店と価格が横並び。そういったことから、ある種の妄想を抱き、この文章は書かれました。根拠ありません。
posted by ねこめ〜わく at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月04日

背徳のレディ・ボーデン

 ハーゲンダッツ、昔で言ったらレディ・ボーデン。

 高いアイスは普段食べない。

 金銭面の理由もあるけど、ありがたみがなくなるから。コンビニで買ったラクトアイスの食感に慣れてしまったということもある。

 食の安全・安心Q&A アイスクリームとラクトアイスの違い
http://www.cfqlcs.go.jp/technical_information/consumer_consultation_case/tamago.htm

 今のラクトアイスは改良が進み、(卵等の)コクがあって馬鹿に出来ない味だけど、昔のラクトアイスって、アイスクリームの廉価版ってイメージがあった。その頃は、近所でアイスクリームは販売されておらず、ほとんど食べる機会も無かった。だから、その違いにも気にならなかった。

 ただ、たまたま、どこかから届いたアイスクリームの味が頭に残っているうちは、ラクトアイスの素っ気無さに驚いたものだ。「こんなの食べていたんだ。」


 違いを理解できたところで、問題が解決する訳ではない。アイスクリームが残っている限り、真夜中にいそいそと冷蔵庫に向かうのだ。

 「これくらいなら、食べてもバレない。」

 「いやいや、これくらいなら、まだまだ。」

 「まだまだ。」

 随分と減ってしまったアイスクリームを見て、発覚を恐れはするものの、満足すれば、眠くなり、眠くなったら眠るのが子供というもの。どうでもよくなって、床に付く。



 翌日、そんな行動などお見通しの母親の追及が始まる。

 予見していたなら未然に防いでもらいたいものだが、それは泥棒の言う台詞じゃない。お約束どおりの虚偽の申告をするのだが、それらはことごとく、冷たい笑顔で流される。いつの間にか無くなってしまうアイスクリームなど、この世には存在しないのだ。真実の輪郭をなぞる素振りも見せず、核心を突いてくる、閻魔。

 「やったのか?」

 「・・・やりました。」



 その後の記憶はひどく曖昧なものでした。記憶に残るはアイスクリームの甘さのみ。かくして、成長しない人間はいくつかの記憶の欠落と甘いアイスクリームの味を心に残し、大きな子供になる。



 気付きもしないうちに、レディ・ボーデンはハーゲンダッツにその位置を奪われていた。どこに行ったものかと思っていたのだが、ここ最近、映画館にてレディ・ボーデンを見つけ、食べた。美味しかった。記憶に残る、背徳の味では無かったが。
posted by ねこめ〜わく at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 甘味 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ディスタンス

 ディスタンス

 上手く書けず、ネタバレになります。すみません。

 ストーリー ビデオジャケット引用

 山あいの湖に集まった4人。
 彼らは殺人事件の加害者家族だった・・・。

 カルト教団「真理の箱舟」の信者が起こした無差別大量殺人。実行犯は教団の手で殺害され、教祖も自殺した。
――それから3年目の夏。山あいの小さな駅に集まった敦、勝、実、きよかの4人。彼ら〈加害者遺族〉は年に一度、〈家族〉の遺灰が眠る湖に集まるのだ。だが、あるアクシデントから元信者だったという男・坂田とともに、5人は実行犯たちが最後の時間を過ごしたロッジで一夜を過ごすことになる。信者たちの生活の痕跡が残るその空間で、彼らは今まで目を背けていた[記憶]と否応なく向きあう――。

 全編手持ちカメラ、自然光のみによる撮影、そして台詞のほとんどが役者の即興的演技、という新たな演出で人間の心の葛藤を静かに描いたのは、是枝裕和。『幻の光』、『ワンダフルライフ』に続く注目の監督第3作。




 「自然を自然光で撮る。しかも、手持ちカメラで。」と、いうことで、自分がキャンプにでも着たかのように感じられます。実際にきよかが作ったおにぎり美味しそう。正直、食べたい。舞台がヘビーなので、重たい映像を予想しておりましたが、そんなことはありません。どちらかというと、環境映画にでもなりそうなくらい、観ていて心が穏やかになる映像です。(効果をねらった音楽もありません。鳥のさえずり、雨の音。)

 そういった中でふと、亡くなった〈家族〉のことを思い返すから、沁みてくるというか、そういった感じがあります。

 題名であるディスタンスは心の距離を示しています。彼らが眠っている湖には途中で切れた桟橋がかかっており、それがちょうど渡りきってしまった家族と残された家族を示すかのようです。

 いくつかの回想で彼らと遺族の交流が描かれます。近くに居たはずなのに、手繰り寄せることもできなくなった。彼らが理解出来ない。一体どこでボタンを掛け違えたのだろう? 自身の心を掘り返すことで、彼らの残したサインを思い返します。 

 同質の酷い経験を味わった遺族同士でさえ、心に距離があります。
しかし、〈家族〉が旅立ったのは距離が無い世界、理解の彼岸です。


 僕たちに何ができるのか?そういうことを考えさせられる映画です。



 と、ここまで、肯定的な感想。





 不満なことは、実行犯があくまでも彼岸の人として描かれていること。彼らも普段は普通に生活しているはず、どこかが違っているだけで、すべての面でおかしい人じゃない。それでは人物としての深みが無くなってしまう。

 同様のことだが、役者の即興的芝居ということは、役者を選んだ時点で物語の出来が決まってしまうということ。そして、皆が役割を理解して演じていても、その演技に温度差ができるということ。

 また、役の作りこみが、時間としてオファーを受けてから撮影までとなってしまう為、どうしても浅くなってしまう。例えば、光市母子殺人事件の被害者、本村さんの主張の変化を考えてみて欲しい。始めは感情的であったものが、被害者遺族全体の今後を考える哲学にまで行き着く。

 映画の遺族の言い分は3年間苦しんで考えたものとは思えない軽さであった。リサーチの結果できた台本じゃないから、「求めても酷」なのだが、舞台の大きさを思うと、こじんまりした話だなって感じはする。
posted by ねこめ〜わく at 02:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Kusukusuさんへの返信

 この記事は5月23日の「さらば映画秘宝  思想から遠く離れて」の続きにあたります。


>Kusukusuさんへ

 『出草之歌』に関するコメントありがとうございます。書いているうちに長文になりましたので、コメントではなく本文で返事をさせて頂きます。

 「左寄り」と表明されてしまうと少し戸惑うのですが、先の『出草之歌』についての記事はそもそも右寄りだから書いたものではありません。僕が右寄りか左寄りかを判断されるなら先の記事と共に『ハーヴェイ・ミルク』についての記事も読んで頂けると幸いです。

 また、先の記事は映画『出草之歌』を批判したくて書いたものでもありません。そのことは、冒頭の「映画の内容についてはともかく」との記述やタイトルが他の記事とは異なり映画名になっていないこと、すなわち『出草之歌』となっていないこと、さらには属するカテゴリーが映画カテゴリーではないことからも分かると思います。先の記事をUPした5月23日の時点では、『出草之歌』が公開されていないので批判のしようがありません(東京の6月3日が初上映)。以上を前提に書きます。


 先ず、前回は、霧社事件と台湾人戦没者の靖国神社合祀反対運動という、高砂族という点以外には繋がりを見出せない事柄について、民族音楽学者である故・小泉文夫氏の『首狩り族は得てして音楽も優れている』という言葉を本来の文脈とは異なる引用の仕方(リアル首チョンパ映画という表記)で接合することで、自己の主張に合う一連の流れとして見せている映画秘宝・田野辺尚人編集長を批判しています。その際、高金素梅氏が高砂族を代表する存在であるのかという点に疑義を示しましたが、これも田野辺氏の記事が殆ど何のフォローもなく既成事実として述べている点に対してです。それがこの記事の全てです。

 次に、高金素梅氏が中国寄りか否かについてKusukusuさんのTB先には「同時に戦後の漢民族による支配にも批判的なのであり」と書いていますが、「戦後の漢民族」というのは中国共産党ではなく、蒋介石率いる国民党を指すのではありませんか?台湾独立を掲げる民進党の前党首・李登輝氏は親日家で有名です。高金素梅氏が、日本にも戦後の漢民族による支配にも批判的と言われても、それは日本・民進党・国民党に対して批判的なのであって、中国共産党に批判的なのかは不明です。


 映画を観て、先ず思ったのは、首狩りの歌が新曲だったこと。その曲自体は語り継がれたものではなかった点で、故・小泉文夫氏の研究していた首狩族と音楽の関係とは異質ではないかと感じました。それから、高金素梅氏は癌を患ったことを二度ほど告白していますが、それと立法委員との活動に何の関係があるのか、この辺りに少数者の甘えを感じました。

 それから、台湾原住民族を支配してきた国家であるオランダ・スペイン・清朝・大日本帝国・中華民国の国旗を、原住民族を表す蛇が貫いている図を、高金素梅氏が紹介するシーンがあります。特に大日本帝国の支配が過酷であったとも言っていました。ここに中国共産党が入っていないのは、台湾原住民族を現に支配していないので当然ではありますが、清朝は満州族の王朝ですし、戦後の漢民族が国民党と中華民国を指すことは国旗から明らかであり、次のことと合わせて考えれば興味深いです。

 それは、原住民族部落工作隊の綱領に「日米の植民地主義に抵抗する」という一文が入っていたことです。何故、台湾原住民族の土地を支配していない米国が挙がっているのでしょうか。連合国軍が憎いのであれば、米英蘭なども批判すべきですが、そんなことはない。台湾大地震後に結成された団体の綱領に「日米の植民地主義への抵抗」と書かれても、具体的にどういう意味なのか。反戦的な意味合いから、米国のベトナム戦争やイラク戦争を非難するのであれば、中華人民共和国によるチベットやウイグルへの侵略、中越戦争もまた覇権主義という観点からは非難に値します。が、ここでも中国共産党の名は一切出てきません。

 この点に、本映画のメッセージが隠れていると思いませんか?日本・米国・台湾に共通するのは何でしょうか。中華人民共和国、中国共産党との緊張関係ではありませんか?この映画には何が描かれていて、何が描かれていないのかを考えれば、自ずとある国家が浮かび上がってくると思います。そう考えると「良識ある漢族」という言葉も味わい深いものがあります。


 「自分達の民族の自治区をつくる」という点について。タイヤル族の人口は8万6000人と言われています。高砂族全体では40万人と言われています。この内、高金素梅氏が代表するのは何人でしょうか。立法委員に立候補した際の経緯や高砂義勇隊慰霊碑の撤去活動に積極的な件と合わせて、この人物が高砂族を代表できる存在なのかどうか、中国と台湾が独立で揉めているのに台湾内で自治を求めることが本省人や他のタイヤル族にとっても妥当なことなのかも含めて、検討されたでしょうか。

 あとは、個人的な幾つかの感想を。映画を観るまでは特に映画自体には好悪の感情はありませんでした。が、特に二つのシーンが残念でした。一つ目は、靖国神社の関係者に詰め寄るシーン。少数者の権利を鈍感な多数者に伝える際には、時に怒号や暴力が生じることもありますし、それをもって少数者だけの責めにするのは不公平な部分もありますが、あのシーンでの怒号は少数者の態度というよりヤクザそのものでした。

 そして、そのシーンで高金素梅氏側の人間が「神道はクソだ」と連呼し出すと、何故か本映画の主催者側の人間が、数人、同意するように笑い出しました。その会場の入り口で「平和護憲」と「教育基本法改悪反対」のチラシも貰いましたが、これが平和を愛する方々の姿なのでしょうか。自身に大切にしているものがあるのなら、他人にも大切がするものがあることを認めるべきでしょう。裁判所前で「通行の邪魔だ」とおっさんに絡まれるシーンも、確かに通行の邪魔でした。自らの正しさを示したいという理由であれ、手順の正しさを踏まえなくては周囲は認めてくれません。ここにも甘えを感じました。


 二つ目は、米国の国連ビル前でのデモ行進のシーン。「KOIZUMI GO TO HELL」という叫びは、特に小泉首相に思い入れはないですが、不快でした。彼らの「靖国神社への高砂族合祀反対」の主張が、どこをどう間違えば「地獄へ行け」にまで発展するのか。「高砂義勇隊は皇民化教育で二度殺された」と主張していた高金素梅氏の主張らしからぬ行動だと感じました。あの集団が国連ビル前で抗議するための資金や訴訟費用は一体どこから出ているのかも気になりました。「良識ある漢族」が支えているのでしょうか。

 まとめ。何故か唐突に米国批判が出てくる。現代のもう一つの覇権主義国家である中華人民共和国、中国共産党の名が一切出てこない。中国共産党と時に緊張関係に立つ国家ばかりが批判されている。社会主義を賛美しているにもかかわらず、台湾の隣にある中華人民共和国における社会主義の現実については語られない。以上、僕の感想です。


【追記】
 kusukusuさんのblogはTBが出来ないようなので、追記形式でリンクを貼っておきます。jingさんのblogはTB条件が文中リンクのようなので、こちらも追記形式ですがリンクを貼っておきます。

2006/06/29
地球が回ればフィルムも回る:『出草之歌』
2006/07/04
地球が回ればフィルムも回る:『出草之歌』に関連して丁寧な反論を頂きました!

2006/06/24
自知之明:24日より《出草之歌〜ある台湾原住民の吶喊 背山一戦》
2006/07/08
自知之明:《出草之歌〜ある台湾原住民の吶喊 背山一戦》 
posted by ねこめ〜わく at 00:31| Comment(23) | TrackBack(3) | 事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月03日

人のふり見て我がふり直せ。

 誰だって自分は見え難いものである。常に自身を顧みることを忘れないよう、今日、体験したことを書いてみようと思う。


 ラジオでこんな言葉を聴いた。

 それまでにテレフォン・ショッピングがあったみたいで、それに間違い電話が相次いでいるようだ

 パーソナリティは言う。
「電話を間違える方がいるようです。正しくは0120―XXX−XXX。怒っている人がいるので、お間違えないように。」



 何を喋っているのか分からず、2,3秒時間、思考停止に陥ってしまった。

 「怒っている人がいるので、お間違えないように。」


 何かおかしい。



 そこは本来ならこう言うのが筋じゃないかな?

 「迷惑をお掛けした方、大変申し訳ありません。電話でお問い合わせの方は、十分注意して下さい。」




 だが、このパーソナリティの言い分だと、こう聞こえてしまう。

 ――苦情を訴える人へ、間違えたのはリスナーであって、当社は関係ありません。お門違いです。間違えたリスナーさんへ、貴方の所為で、絡まれて困っています。なんとかして下さい。――




 言葉足らずだったのか?普段から配慮が足らないのか?そんなキャラで売っているのか?クレーマーを当てこすりたかったのか?いかなる理由かは分からないが、短慮という他無い。

 [我々は広告に場所を貸しただけであり、一切の責任はこれを受け持たない。]
 
 そんな姿勢ではマトモなスポンサーが逃げていく。広告先の品位が問われるからだ。

 また、マトモな消費者も、そんなところでモノは買わない。


 以前、このパーソナリティがこんな話したことを覚えている。
「子供を叱る際、『他の人が怒るからそんなことは止めなさい』と注意する親がいる。そんなのはおかしい!それでは『自分だけ良ければいい』ではないか?」




 人のふり見て我がふり直せ。よく出来た言葉だ。
 
 
posted by ねこめ〜わく at 19:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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