1921年製作、スウェーデン作品。監督、ベンヤミン・クリステンセン。
DVDジャケット引用
クリステンセンはここに普通の物語映画とも記録映画とも異なる、前例のないような種類の映画を作った。映画はまずあたかも大学における講義のように、古代世界における宇宙観、中世における悪魔や魔女について解説を試みる。それに続いて劇仕立てで中世の魔女の活動、魔女裁判などを見せる。映画の後半では舞台は現代(1920年頃)に移り、現代のヒステリー症の女性と中世の魔女との類似について解説が加えられる。
この映画がすべて正しいかどうかは分からないが、いくつかの根本的な謎について答えを示してくれている。
魔女が老婆の格好をしているのは何故か?
証言として残る悪魔との契約、儀式が突飛〔馬鹿げている〕のは何故か?
生産性の欠片も無い魔女狩りという行為が何故、社会のシステムとして運用されたのか?
「状況さえ認識できれば簡単に答えられること」なのだが、どうだろう?(推理小説の答えを知ってから読んでいない人に訊ねるようで意地が悪いが、シンプルで論理の筋道がしっかりした良問を目にすると、聞いてみたくなるのが人の常というもの。ご容赦願いたい。)僕はこの映画を観て「あぁ、そういうことか」と納得したのだが、頭の良い人なら分かっていることかもしれない。
この映画は最初から最後まで抑え目の演出で煽りが無いのだけれど、結果的にキリスト教の負の側面を描く格好になったから、ドイツやフランスでは1920年代半ばまで、アメリカでは1930年代になるまで、公開されなかった。「ホテル・ルワンダ」、つい最近の「太陽」、これから公開される「アブダクション」もそうだけど、商業はタブーとの食い合わせが悪い。
歴史があるのだからその当時の野蛮な風習を受け持つ可能性も無数にある。現在の人間が過去をとやかく言っても始まらないが、歴史を知り、そこから学ぶことは何より大切だと思う。対象になった舞台も、作られた時代も、随分と古いが、この映画は少しも古びていない。この映画に含まれる寓意は現在にも通用する。