信念が世界を変えた〜背面跳び フォスベリー〜
多分、誰だって中学や高校で走り幅跳びって経験あると思うんだけど。
はさみ飛び、ベリーロール、背面飛び。
なんか別の競技みたいに思えたことなかったっスか?
妙にはさみ飛びだけが得意な奴とか居たりして。
背面飛びを編み出したフォスベリーも最初はさはみ飛びしか出来ない奴だった。
番組の途中にいくつか当時の彼を知る人のインタビューが入るんだけれど。
いかに彼が不器用な子であったかに終始した感が。。。
友人が他の友人と賭けをする話
フォスベリーが部屋に入る前に部屋中に缶などを散らばらせて置いて、彼が出て行くまでに幾ら倒れるか賭けた、と。
ご多分に漏れずキチンと倒していった、と。
実の親のインタビューもあったんだけど、
「色々試したけれど、どのスポーツも駄目で残ったのが高飛びであった。」と
泣かせるぜ。。フォスベリー。
そんな彼ははさみ飛びからフォームを変えないで高校も高飛びをし続けるのだけれど、その当時の主流であったベリーロールの記録からは遠く及ばない。
力学的に姿勢を立てたままのはさみ飛びは、状態を寝かせたベリーロールより効率が悪い。
更に追い討ちをかけるかのように、見込みのある新人が入ってくる。
コーチから三段跳びへの変更を勧められる。
高飛びだけは辞めたくない。
追い詰められたフォスベリーの悪戦苦闘が始まる。
バーを越える為には、バーよりも腰を浮かさなくてはならない。
あるとき、それは偶然に生まれた。
腰を浮かすと上半身が水平になった。
背面飛びの誕生である。
それは誰もが見たことの無い飛び方だった。
彼はその後も試行錯誤を重ねた。
助走の付け方、走り込む角度。
誰も試したことの無い飛び方だから、先生なんかいやしなかった。
タイム誌は「これまでに考案された中で最もこっけいな跳び方」と評した。
それは想像を絶する孤独な戦いだったに違いない。
1968年、メキシコ五輪
彼の努力が実を結ぶ。
2m24cm
オリンピック記録を塗り替えての
金メダル
現役を引退した今も、彼は時間を作って地元の高飛び選手の指導に当たっている。
この飛び方で世界が変わると思いましたか?
ある現役選手が尋ねた。
いや、そんなこと、考えていなかった
とにかく
高飛びを続けたかったんだ。
とにかく
高飛びを続けたかったんだ。
くぅ〜、泣かす。