「出草之歌」 公式Webサイト
http://headhunters.ddo.jp/HeadHunters02.files/frame.htm
(注1)以下、映画秘宝記事について引用する箇所は赤字で、それ以外からの引用は青字で示す。なお、赤字箇所の太字は、映画秘宝編集者による強調部分をそのまま再現している。
映画の内容についてはともかく、田野辺尚人編集長の“リアル首チョンパ映画の超問題作『出草之歌』”という記事は、恣意性が強い。田野辺氏は、この映画に登場する台湾原住民族・高砂族を説明するに当たって霧社事件を紹介しているが、霧社事件は台湾人戦没者の靖国合祀反対運動と混ぜて書くべき事柄なのだろうか。
その手法は、霧社事件を紹介することで首狩り族としての高砂族を説明し、民族音楽学者の小泉文夫氏による『首狩り族は得てして音楽も優れている』という言葉を引用することで、本映画における高砂族の音楽ドキュメンタリーとしての側面と結び付け、本映画の内容である台湾人戦没者の靖国合祀反対運動の案内とするものである。果たして、台湾人戦没者の靖国合祀反対運動をテーマにした映画を紹介するに当たって、霧社事件や小泉文夫氏の言葉を紹介する必要があるのだろうか。
(注2)なお、故・小泉文夫氏がどういう文脈で首狩り族について語ったのかについては、以下のサイトが参考になる。田野辺氏の引用の仕方とは随分違った印象を受ける。
礼聖歌研究工房アトリエおおましこ:祈りを歌う
http://www16.plala.or.jp/omasico/page006.html
しかも、『ホウ・シャオシェンの映画などでは、日本の植民地時代もそれなりにALWAYSだったんだ、三丁目の夕日も綺麗だと遠い目をするので、新しい教科書の印税で飯でも食おうとしている最近の歴史修正主義者の乞食根性を増長させているが、もちろん誇り高き一派は抗った。』という映画とは何の関係もない誹謗中傷の一文もある。イデオロギー全開である。
また、台湾人戦没者の靖国合祀反対運動をしている高砂族の台湾人女性(すなわち本映画の主人公)について、田野辺氏は詳しく触れていないが、『出草之歌』公式webサイトを見れば解るように、この女性は高金素梅氏である。以下、Wikipediaの高金素梅の項から引用する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%87%91%E7%B4%A0%E6%A2%85
<引用開始>
高金素梅(こうきん そばい/ガオジン・スーメイ、閩南語:Ko Kim Sò·-mûi, 1965年9月21日-)、タイヤル族名吉娃斯阿麗(チワスアリ)は台湾の元歌手・役者・司会者で、現在は中華民国立法委員で無所属。台湾人ながら北京の民族大学に留学。臺中縣和平郷谷關在住。芸能人時代には数々の不倫騒動から「誹聞天后」(スキャンダル・クイーン)のあだ名をマスコミに付けられた。父親は安徽省出身の外省人、母親は台湾原住民のタイヤル族である。かつては「金素梅」と名乗っていたが母親が原住民だったことから、当選しやすい原住民枠で選挙に出馬した経緯がある。
<引用終了>
同項の政治主張の欄からも引用する。
<引用開始>
反對軍購,反對「公投制憲」(兵器の購入に反対し、「公民投票による憲法制定」に反対する)
経歴からもわかる通り親中反日。2005年には来日し、駐日中国大使館の報道官も「関心を寄せている」とコメントするなど、日本国内外の反靖国の政治勢力と連動して靖国神社を批判するパフォーマンスを行った。高金素梅のこのようなパフォーマンスの背景は国内ではほとんど報道されなかったが、台湾独立派の台湾の声などから批判された。
またその後国連本部でも反日的パフォーマンスを行っている。
高砂族義勇兵碑の撤去にも精力的に活動し、大日本帝国を賛美しているとして、記念碑以外を撤去させる事に成功した。
<引用終了>
高金素梅氏の父親は安徽省出身の外省人、母親は台湾原住民のタイヤル族(高砂族は先住民族9部族の総称とのこと)ということなので、高砂族を名乗ること自体は間違いとはいえない。けれど、選挙に出馬するに際して母方の姓である「高」を名乗った経緯や中国大陸よりの政治主張を考えれば、高金素梅氏が高砂族および靖国神社に祀られている台湾人戦没者の遺族を代表する存在なのかどうか、大いに疑義がある。現に林建良氏が主催するメルマガ「台湾の声」も批判している。
「台湾の声」【論説】高金素梅の来日は台湾人を代表しない
http://sv3.inacs.jp/bn/?2005060034490320005291.3407
にもかかわらず田野辺氏は記事をこう締めくくる。
<引用開始>
そんな高砂族の元原住民部落工作隊の生き残りや遺族たちが、「俺たちは日本人じゃない! 名誉ある首狩り族だ! 祖先の霊を靖国神社から解放してくれ!」と九段下・日本武道館脇の神社に殴り込みをかける『出草之歌』は、この台湾最強の首狩り軍団怒りの鉄拳の記録だ。生首は転がらないけど必見の1作だ!
<引用終了>
高金素梅氏は『高砂族の元原住民部落工作隊の生き残り』ではないから『遺族たち』の方だとしても、「高砂族」とは当時の日本側による先住民族9部族の総称である。仮に高金素梅氏はタイヤル族遺族の一部を代表するとしても、高砂族遺族のどれほどの意見を代表するものなのか。また、『高砂族の元原住民部落工作隊の生き残り』とは誰なのか。その『高砂族の元原住民部落工作隊の生き残り』は霧社事件に関与した高砂族なのかという疑問もある。
また、Wikipediaの霧社事件の項によれば、事件の評価は中国国民党統治時代の抗日教育下と1990年以降の民主化過程で、その評価が異なるようである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%A7%E7%A4%BE%E4%BA%8B%E4%BB%B6
『リアル首チョンパ映画』と評して霧社事件を引き合いに出してまで紹介した映画、その映画の登場人物が霧社事件と関係なかったら、ただのミスリード記事となるだろう。しかも、台湾人戦没者の靖国合祀問題における高金素梅氏側の主張を、高金素梅氏の名を伏せて紹介する手法は、誠実さとは程遠い。
ところで、田野辺氏の記事によれば『高砂族の元原住民部落工作隊の生き残りや遺族たちが、「俺たちは日本人じゃない!名誉ある首狩り族だ!祖先の霊を靖国神社から解放してくれ!」と九段下・日本武道館脇の神社に殴り込みをかける』そうだが、これは元原住民部落工作隊の方々や遺族の方々が言っていることなのだろうか。
当時の風習としてならともかく、彼らは現代においても自分達のことを『名誉ある首狩り族』だと語っているのだろうか。「名誉ある高砂族」と言うならともかく『名誉ある首狩り族』と主張するのだろうか?
現代でも、そう公言して憚らないなら、それでは戦士ではなく快楽殺人犯ではないか。或いは、台湾に愛着が無い者たちか。靖国神社に祀られていることを拒むのであれば、ただそれだけを主張すれば良いことであって、日本人のカテゴリーに属することを嫌うばかりに『名誉ある首狩り族』だと主張するのは何とも無理がある。これは本当に彼らが言ったことなのだろうか。田野辺氏の煽りなら随分と失礼な話である。
田野辺氏といえば、直近では映画秘宝2006年3月号62〜63ページにおける、映画『ミュンヘン』の記事が印象的だった。イラク戦争を非難しながら、他方では『テロには常に大義・主張がある』とテロルを擁護していて、正直、偏りの激しい人だと思った。倫理的にはどちらの場面でも、関わって死ぬのは十中八九、民間人なのだから、大義があろうがなかろうが擁護する気にはなれない。
彼のカラーが強くなってから損面の多様性は確実に失われた。ある時、町山智浩氏と柳下毅一郎氏が担当するファビュラス・バーカー・ボーイズのコーナーに田野辺編集長の注釈が付くようになった。町山・柳下両氏が歯に衣着せず話すから面白いのに、編集側のブレーキが見えた。そこあたりから、二人の掛け合いにも勢いが無くなってきたと思う。確かに、二人は、たくさんのものに噛み付いた(主に町山氏)。けれど、怒ってくる人たちにも伝える姿勢があった。それこそ、ペンで戦う評論家だと思った。
政治的思想性には物凄い毒があって、自己に無批判な状況でいるとどんどん凝り固まってしまう。より言葉に慎重であるべき編集長が『歴史修正主義者』なんて口にしてはいけない。それは、自己に無批判な右派が使う「非国民」とのレッテル張りと同程度だから。
映画秘宝には、純粋に映画のみを扱って欲しいけど。編集長には誰も楯突かないからね。悲しいけど、卒業かな。
【追記】
7月4日の「Kusukusuさんへの返信」に続きます。
なんだか町山氏の『ホテル・ルワンダ』評のときの低劣なパロディにも見えてしまいますね……。政治思想に限らず秘宝には昔から無駄に攻撃的な部分が(一部に)ありましたが、結局それは映画を(広義の)政治のだしにしているだけで町山氏の映画に不可避的に刻まれている社会性や歴史の構造を紐解いていく姿勢とはまったく似て非なるものでしょう。社会ありき、思想ありき、ルサンチマンありき、ではね。柳下氏が某SNSで書いていた「これ作った奴、殺す!」という誓いではじまる『三丁目の夕陽』批判とか明快で偏ることのない痛快な一文でしたが。
ところで金沢の例の美術館で「車も女も同じ乗り物」(by蓮實重彦)でおなじみ鈴木則文監督の特集をやるそうです。これまた素晴らしい快挙。監督&ガース氏の来場も予定されてますし、『ドカベン』も観られる!迷うところです。
何より大義として取上げた台湾の人々を自身の主張のダシに使っているだけところが、救い難い。結局は誰かの為でなく己の思想の為だろう?と。
>ところで金沢の例の美術館で「車も女も同じ乗り物」(by蓮實重彦)でおなじみ鈴木則文監督の特集をやるそうです。これまた素晴らしい快挙。監督&ガース氏の来場も予定されてますし、『ドカベン』も観られる!迷うところです。
行きましょう。是非、行きましょう。
僕は左寄りの人間ですので、おそらく意見が異なるかもしれないと思いますが、この映画の背景を知る上で参考になる記事でしたのでトラックバックさせて頂きました。
僕はこの映画を見た限りでは、高金素梅氏は中国寄りの人間だとは思わなかったのです。この映画では日本を批判する言葉も出て来ましたが、同時に漢民族に関しても批判的な発言をインタビューでしていましたので。日本だけでなく中国に対しても批判的なスタンスをとっていると思って僕は潔い人だと(映画を見た限りでは)印象を持ちましたね。