2006年07月04日

ディスタンス

 ディスタンス

 上手く書けず、ネタバレになります。すみません。

 ストーリー ビデオジャケット引用

 山あいの湖に集まった4人。
 彼らは殺人事件の加害者家族だった・・・。

 カルト教団「真理の箱舟」の信者が起こした無差別大量殺人。実行犯は教団の手で殺害され、教祖も自殺した。
――それから3年目の夏。山あいの小さな駅に集まった敦、勝、実、きよかの4人。彼ら〈加害者遺族〉は年に一度、〈家族〉の遺灰が眠る湖に集まるのだ。だが、あるアクシデントから元信者だったという男・坂田とともに、5人は実行犯たちが最後の時間を過ごしたロッジで一夜を過ごすことになる。信者たちの生活の痕跡が残るその空間で、彼らは今まで目を背けていた[記憶]と否応なく向きあう――。

 全編手持ちカメラ、自然光のみによる撮影、そして台詞のほとんどが役者の即興的演技、という新たな演出で人間の心の葛藤を静かに描いたのは、是枝裕和。『幻の光』、『ワンダフルライフ』に続く注目の監督第3作。




 「自然を自然光で撮る。しかも、手持ちカメラで。」と、いうことで、自分がキャンプにでも着たかのように感じられます。実際にきよかが作ったおにぎり美味しそう。正直、食べたい。舞台がヘビーなので、重たい映像を予想しておりましたが、そんなことはありません。どちらかというと、環境映画にでもなりそうなくらい、観ていて心が穏やかになる映像です。(効果をねらった音楽もありません。鳥のさえずり、雨の音。)

 そういった中でふと、亡くなった〈家族〉のことを思い返すから、沁みてくるというか、そういった感じがあります。

 題名であるディスタンスは心の距離を示しています。彼らが眠っている湖には途中で切れた桟橋がかかっており、それがちょうど渡りきってしまった家族と残された家族を示すかのようです。

 いくつかの回想で彼らと遺族の交流が描かれます。近くに居たはずなのに、手繰り寄せることもできなくなった。彼らが理解出来ない。一体どこでボタンを掛け違えたのだろう? 自身の心を掘り返すことで、彼らの残したサインを思い返します。 

 同質の酷い経験を味わった遺族同士でさえ、心に距離があります。
しかし、〈家族〉が旅立ったのは距離が無い世界、理解の彼岸です。


 僕たちに何ができるのか?そういうことを考えさせられる映画です。



 と、ここまで、肯定的な感想。





 不満なことは、実行犯があくまでも彼岸の人として描かれていること。彼らも普段は普通に生活しているはず、どこかが違っているだけで、すべての面でおかしい人じゃない。それでは人物としての深みが無くなってしまう。

 同様のことだが、役者の即興的芝居ということは、役者を選んだ時点で物語の出来が決まってしまうということ。そして、皆が役割を理解して演じていても、その演技に温度差ができるということ。

 また、役の作りこみが、時間としてオファーを受けてから撮影までとなってしまう為、どうしても浅くなってしまう。例えば、光市母子殺人事件の被害者、本村さんの主張の変化を考えてみて欲しい。始めは感情的であったものが、被害者遺族全体の今後を考える哲学にまで行き着く。

 映画の遺族の言い分は3年間苦しんで考えたものとは思えない軽さであった。リサーチの結果できた台本じゃないから、「求めても酷」なのだが、舞台の大きさを思うと、こじんまりした話だなって感じはする。
posted by ねこめ〜わく at 02:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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