2006年07月09日

映画好きの怒り

 映画好きの怒り

 最近のことだけど、劇場で映画を観ると、こういうコマーシャルが流れる。

海賊版撲滅キャンペーン

映画が盗まれている
感動も盗まれている。
大切なものが汚されていく。
〜少女の頬を伝う涙が黒く濁っていく〜
テロップ「映画を守りたい。感動を守りたい。」
http://www.jimca.co.jp/



 著作権は正しく守られるべきものだ。海賊版の横行を認めてしまうと、業界全体が痩せ細ってしまう。大筋の主張まったくその通り。面白い映画が作られていくような土壌作りは本当に大切!

 
で、あるのだが、どうもこのコマーシャル、ひっかかる。

 まず始めの違和感は、見せる対象を誤っていること。劇場に足を運んでいる、少なくとも上映作品については海賊版を購入していない人間に、見せてどうする?間違っていない人間にお説教すれば当然ながら反感を買うと思うのだが。また、毒々し過ぎるコマーシャルなので、逆に誘惑の甘さを強調する結果にならないかと心配になる。


 また、僕のような狭量な人間が、それ以上に気に食わないことは、映画業界の問題を観客の問題にすり換えていることだ。「映画が盗まれている」これは正しい。しかし、それ以降は直接、観客には無関係だ。映画→感動と置き換えることはできても、感動→映画とはならない。そして「大切なものが汚されていく」とあるが、この言葉には意図的に主語が欠落しているように思えてならない。観客にとっての大切なものと言わせたいのだろうが、実質、映画業界の虎の子であろう?下手なプロパガンダは興を殺ぐ。誠実さが感じられない言葉に、誰が胸を打たれよう?


 論拠の曖昧さと共に、このCMに感じることは、自身を善悪の彼岸に置いた物の言いようである。確かに海賊版はそれを作る人間と、買う人間の問題といえる。しかし、問題はそれだけなのだろうか?密造者を取り締まり、大衆のモラルを高めることだけで、この問題は解決するのか?いや、それだけでは根本的な解決に行き着かない。海賊版が横行する土壌に全く手を付けていないからだ。そして、その土壌は他ならぬ、映画業界にある。


 映画に対する価格が高すぎるのだ。


 劇場まで足を運んで、一本1800円。これは平均的なバイトの時給みっちり二時間分にあたる。それが映画一本で消費されるのは正直、高過ぎやしないかい?

 そうは思わない?だったら、他の遊びと比較してみたらいい。

 カラオケ、ネットカフェ、漫画喫茶、スーパー銭湯、時間性複合型レジャー施設、どれと比較しても映画は、時間単位の費用対効果が図抜けて低い(単価が高い)。


 また、一本1800円もかかるとなると、軽い遊びとは呼べなくなる。リスクが大き過ぎるのだ。例えば、連れと映画を観に行くとして、三千六百円。それに飲み物、ポップコーン、パンフを含めれば、五千円を超える。消費されるのはたったの二時間。デートに使うにしてもちょっと考えてしまう。

 また、仮に「一人で倹約して観る」と仮定しても、大抵の人間が話題作しか観なくなり、業界が痩せ細ることが考えられる。誰だって割高な買い物には慎重になるもの。失敗したくない。で、あるなら、映画本来の魅力以外に価値がある作品に自然と流れていく。例えば、誰かとの会話に活かせる作品。誰でも知っているスターが出ていて、大掛かりで目を惹き、多額の広告費が使われているもの。付加価値がセーフティネットになるのだから、内容はスカスカで構わない。


 逆説的になるが、僕は本来、映画とは「つまらなくても、いいや」くらいの心持ちで観たとき、一番面白いものだと思っている。余裕なく映画を観ても、楽しいはずが無いからだ。「気を遣い、話題作りも兼ねて」では、映画そのものの魅力を損なってしまう。おみくじを引くような、真剣ながら軽い感覚が大切だ。


 また、大衆に「軽い遊び」と捉えて貰えないことは、映画業界にとってもマイナスである。失敗が許されない。畢竟、様々なセーフティネットに覆われて、作品一つ一つの個性を失う。同じような作品に観客は食傷気味となる。全体の興行収入が落ちる。


 負の連鎖を断ち切る為には、大衆の映画に対する敷居、要するに金額の引き下げが一番効果的であろう。

 それでは全体としての収入が下がる?いやいや、映画業界はたんまりと過分な収益を上げている。

 この長かったデフレの時代、映画料金は一切下がらなかった。のみならず、現在この時に至っても、映画料金は基本的に全国一律である。競争の無い市場が、社会の変容に順応できないのは至極当然のこと。経営規模の小さな劇場を保護する為、最低上映価格を設定するというなら理解もできるが、既得権益を守ることに必死で、商売の基本、顧客に対して誠実であるという姿勢が見えてこない。これでは、収入の減少は相応の定めという他無い。


 確かにいくつかの営業努力の中で、料金の一部を観客に還元しているものもある。夫婦五十割引(どちらかが50歳以上なら、夫婦で2000円)、高校生友情プライスサービス(高校生3名以上で一人1000円均一)等。しかし、これらの還元は新規開拓に限られている。既存の顧客に対しては、既得権益を死守する構えに変わりがない。ロイヤル・ユーザーを蔑ろにし、その利益はまるまる抱え込み、自身が痛みを伴わない部分でのみ譲歩している、に過ぎない。


 そして、価格の信義則を見事に破っている。かたや、よく観に行って1800円。かたや、それほどではなくて1000円。大雑把に捉えてその差、二倍弱。開きがあり過ぎる。しかも、「正規の金額を支払った顧客が、割引の顧客に席を取られ、映画を鑑賞できない」なんてことも起こり得る。別に割引対象者に対し非難を向けている訳では無い。「サービスが不均等であり、経済の合理性から考えても不自然。故に、映画業界に対する不信感おこる。」ということだ。


 興行収入で収支を合わせた映画業界はその後、その作品をDVD化する。黒字を出した作品は更に利益を得る為に、赤字を出した作品は少なくとも収支を合わせる為に。しかし、DVDは作品の本上映より高くなることが当たり前。劇場では1800円でも、新作であれば4000円程度はする高い買い物になる。より失敗はしたくない。間違いなく顧客自身が欲するモノを手に入れる為にはどのようにすれば良いのか?


 それは簡単な話。映画館に行けば良い。もし海賊版に同様の即時性があったとしても、劇場鑑賞料が同等の場合、多分、人は海賊版に流れない。違法行為を超える分のインセンティブが無いからだ。ただし、現状は違う。現状の鑑賞料は明らかに高いのだ。

 仮に、映画代が現在の半分になったと考えてみよう。海賊版は確実にその数を減らす。もし密造者がその流れに踏みとどまり、それより安い価格で商品帯を販売を継続しようと考えても、利益が半分以下になる。そして、そこには脱法するほどの旨みが無い。彼らにとっても、別のインセンティブが存在するのだ。また、料金が下がったら、劇場で映画を観る機会も理論上、2倍。欲するモノと出会う機会も2倍となる。お財布事情を考慮しても、DVDの市場は確実に活性化する。



 質問が一つある。

 もし、あなたに本当に手元に残して置きたい作品があったとしたら、それを海賊版で購入するだろうか?品質も保証されず、不良品が出ても返品ができるかどうかも分からない。人にも大っぴらに貸せない品物を。




 僕なら手に取らない。

 しかし、それでいても、海賊版が生まれる市場の歪みは理解できるのだ。



 果たして、前述したCMを大衆に訴えかけるほど、映画業界は誠実なのだろうか?善意の消費者に海賊版の無い社会を求めるほど、彼らの行いが誠実と呼べるのだろうか?
posted by ねこめ〜わく at 11:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
映画が盗まれるというフレーズからして扇情的なだけで曖昧ですよね。あと海賊版が横行したところで観客がその映画から受け取った感動が損なわれるわけではないでしょう。ただ作るな、売るな、買うなってことですから対象は必ずしも誤っていないと思いますけど。買う人間がいっさい映画館に行かないというわけではないでしょうし。効果はともかく毒々しさの理由はそこにあるはずです。

ただ高い料金を取って上映前に延々とCMを流すのはやめてほしい。ジュエリーほか映画と関係ないやつ。予告編はまあ少しくらいなら許容範囲ですが……先日『ローズ・イン・タイドランド』を観たのですがその前に流れた某漫画原作映画の予告がかなり強烈で死にたくなりました。せめて価格の内にせこくて使い回しのパンフ代は含んでいいでしょうし、飲み物は外と同じ価格で販売すべきでしょう。

たとえば某物理学者が「頭のいい人間は難しいことを小学生にも理解できるように話すことができる」と言いました。しかし小学生って誰のことだ?と思うわけです。それって小学何年生なの?男子?女子?……むろん「小学生」という言葉は故意に具体性や内実を欠いた形で用いられている。いわば物の例えですね。しかしその曖昧さゆえにこの言葉はほかの科学者(発信者)たちではなく数多の自称小学生たちに誤配されてしまっているのです。観客(受け手)の質は常に問われなくてはならないでしょう。中原昌也と青山真治が対談で「映画がおもしろいということを伝えるメディアがない」とインターネット普及の「罪」を指弾していましたが、まあ、映画に関心のある人が絶滅に瀕している気はしないでもないわけで。「善意の消費者」にも疑わしい感覚は持っています。何に対する善意か、という……単なる善意というのはありえないわけですから。うーん、どうしても暗い展望しか浮かんでこないなあ。
Posted by Tyler Durden at 2006年07月10日 01:57
>ただ作るな、売るな、買うなってことですから対象は必ずしも誤っていないと思いますけど。買う人間がいっさい映画館に行かないというわけではないでしょうし。

そうさね、この文章はあまり冷静に書かれていない。私憤が多く含まれている。反省。


>中原昌也と青山真治が対談で「映画がおもしろいということを伝えるメディアがない」とインターネット普及の「罪」を指弾していましたが、まあ、映画に関心のある人が絶滅に瀕している気はしないでもないわけで。

良くも悪くも映画は敷居が高いのだと思う。当たり前なんだけど、見に行かなきゃならないし、自分で観るものを決めなきゃならない。その一方で、一部の作品のみだが、業界の規模に見合わないほどのコマーシャルが流される。映画に対するコメントは(極端な言い方をすれば)修験者の言葉か受け売りしか存在しない。両極端なの。そこらへんが問題なのだと思う。それには多くの人が「気軽に観る(見るじゃないよ)」ことが大切なんじゃないかなぁ。よって、映画代安くして欲しい。


>「善意の消費者」にも疑わしい感覚は持っています。

ここも、ちょっと煽っている。言葉が選びが不味い。ここ使った「善意」とは法律用語「善意の第三者」に近い意味合いで使ったのだが、この使い方では「善意」の行方が分からない。指摘ありがとう。法律で言うと「善意の第三者」とは「事情を知らない人」って意味になるのだけど、お金払って映画を鑑賞する人に提供するCMとしてはあまりに無粋であることから、この言葉を使った。無論、観客も合理的に動いている。金銭、モラルも同様の天秤で量られるものだ。



Posted by ねこめ〜わく at 2006年07月10日 18:53
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