2011年07月24日

理由

ツタヤのレンタルが100円だったので「発掘良品」を借りてみた。

「理由」 
あらすじ
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=24986
ある殺人事件の容疑で死刑の判決を受け、投獄されたてしまった黒人青年ボビーは、8年後偶然同じ刑務所の中で真犯人と出会う。彼は無実の罪を晴らす為、大学法学部教授のポールに一通の手紙を書く。調査に立ち上がったポールだが、調べて行くうちにこの事件の背景に隠された謎の存在に気づいていく……。次々と予想を裏切って二転三転と展開する巧妙なプロットはお見事。話のテンポも良く、飽きさせない構成にはなっているものの、目新しさが余りなく、ちょっと物足りない感じもある。しかしながら、コネリーの演技は勿論の事、フィッシュバーンの“観客を騙す演技”は素晴らしい。また狂気的な囚人役を演じていたエド・ハリスもGOOD!


俳優さんとか演技とかドンデン返しが好きな人は見れば良いと思う。
逆に脚本の整合性とかテーマとか求める人にはオススメしない。

以下ネタばれ。

事件が起こったフロリダに行ってみると、裁判中の証拠はボビー君の自供のみ。
物証無し、犯行車輌を見た証言も弱い。
ボビー君の弁護に当たった弁護士は「彼を弁護しただけで仕事が減ったのに、弁護を頑張っちゃったら仕事が無くなっちゃう。」と開き直る。
自供のみだけど、取調べの最中に被疑者に対する暴行が行なわれていた。(被害者ボビー君曰く殴る蹴るロシアンルーレット、加害者フィッシュバーン曰く一二回殴った。)

ボビー君の事件を調べるポールは元弁護士、死刑反対派の大学教授。その妻は検事だったが、ボビー君の事件で誤判を犯した過去がある。留置所?に行った事でボビー君の奨学金終了、ついでに暴行され玉無しに。罪滅ぼしをしたいから彼を助けてあげてと妻。ぬーん。


行き当たりばったり過ぎて、もう何がなんやら。

殺人鬼ボビー君は恐ろしいんだけど、
彼が道を踏み外すきっかけになった誤判、その結果失われた未来や身体、
世論に流されて弁護活動が出来ない社会や、
証拠不十分で殺人犯が無罪放免になる杜撰な捜査、裁判。

ボビー君みたいなのを大量生産しうる舞台背景の方がよっぽど怖いのに、全くもってスルーなところに唖然。みんなのシネマレビュー見てたら、気にならない人の方が多いみたいで、その辺も怖かった。

騙されたら高評価、オチが読めたらミソッカスって感じ。普通に見てて、ポールの経歴を詳細に語る時点でボビーは相当にヤバいじゃない。騙す騙されるって視点から捉えても見方が薄っぺらいような気がすんだけど。

死刑反対派のポールが殺人鬼を何度もナイフで刺して殺すのがラストなんだが、前半部に伏線、討論会で「身内が殺されても死刑反対ですか?」と聞かれるシーンがある。「反対です。」と答えるポール(コネリー)。『死刑反対派が人を殺す。矛盾。深い。』みたいな感じかな?

ただ、これって単に論理のすり替え。目の前にピストル持った男が居て、そいつが自分と自分の家族に殺意を持って迫ってきます。こんな状況だったら誰だって抵抗する。
自分の、家族の身に今まさに不安がある状況と犯人が捕まって裁判を待つ状況では話が違う。
彼の主張は死刑反対なのであって、無抵抗に殺されてもオッケーじゃないの。
なんか悪質な気がすんだけどなぁ。。
こういった気持ち悪さを感じないものかなぁ。

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2011年02月05日

相棒「聖戦」の感想

ネタバレ含みます。

あらすじ

高台にある公園。ブランコに揺られる中年女性。双眼鏡でふもとを眺めている。
視線の先には窓の開かれた家。ベットに座った男が携帯で妻と話をしている。
「後で合流するから」
男の声は高台の女に盗聴されていた。男がベットをめくり何かを取り上げる。

「プレゼント」
高台の女が何かのスイッチを押す。
と、瞬間に男のいる部屋が爆発。炎に包まれた。


捜査が始まる。Aの妻への事情聴取。Aは怨みをかっていなかったか?
A妻「怨みはかっていたでしょう。人を殺した事があるんだから。。」

被害者Aには前科があった。麻薬吸引時の交通事故。単車で人をはね、死亡させていた。しかし、その後、Aは更正したとA妻は言う。「借金から風俗に身をやつした私を救ってくれたのだ」と。

交通事故で死亡したのは高台女(以下女)の息子だった。当然、女は捜査線に当然上がってくる。が、交通事故が十数年前に起こっている事、爆発製造に関する蓄積、証拠が無い事から捜査は行き詰まる。

逆に爆弾に使用された薬品が別の男Bの元で発見される。彼は爆死したAと麻薬絡みで過去に繋がりがあり、怨恨の線も推測できた。

杉下、神戸両刑事は現場に残されていた起爆装置の残骸から、起爆はA宅を見渡せる場所で行われたと推理し、高台を発見する。高台にはブランコ。向かいのベンチ。ベンチにはビスケット落ちていた。

女宅に事情聴取を求める杉下と神戸。女は機嫌良く二人を招き入れる。紅茶に茶菓子を出しもてなす女。茶菓子は高台に落ちていたのと同じビスケット。
『捕まえるつもりなら証拠を持ってこい』
後に女から二人に投げ掛けられる言葉だが、ビスケットはそれと同じ。 警察に対する挑戦だった。 犯人は彼女だとの確信を深める二人だが、片っ端から模様替えされた女の部屋から証拠品が出る事は無い。

容疑者として身柄を拘束されたB。取り調べを受けている。否認し続けるのだが、捜査官が訪ねた際に逃亡を謀った事が災いし、証言を受け入れて貰えない。Bには絶縁された母が居た。その母の余命いくばくも無い事を刑事がくる前にB姉から聞いていた。母のいまわに寄り添いたいという想いがBを逃走に駆り立てたのだった。

Bの取り調べ室をマジックミラーから見つめていた杉下、神戸はBの母の病室に向かう。

鼻から呼吸用のチューブを差し込まれ、既に息絶え絶えな老婆。渾身の力で上体を起こし、
「申し訳ありません。申し訳ありません。」と何度も頭を下げる。

まだ確証は無いが、それでも老婆に「Bが犯人じゃない。」と伝えべきと考える神戸。
捜査に専念する事で老婆の心の痛みに報いようとする杉下。
杉下と神戸の間に確執が生まれる。

神戸は杉下との捜査を辞め、独自で捜査を開始。グレーな手法を用いてでも、事件を解決に導こうとする。

Aの妻に女が交通事故被害者の母だと教える。
当然、A妻は女と話がしたい、いう。
なし崩し的に録音機を持たせ、オトリ捜査をさせる事に。

B妻は女は働くファミレスに向かう。
「何故、夫を殺したの?夫は(刑期を終え)罪を償ったのよ。」
掴みかかるB妻。はねのける女。拍子に地面に落ちる録音機。

女は録音機に気付き、
「何か落ちましたよ。」
拾い上げながら電源を落とす。
そして録音機を引き渡す瞬間にA妻の耳元でささやく。
「最高の気分よ。アンタの夫を木っ端みじんに出来て」

怒り心頭のB妻は女の首を締め上げる。
女「お客様、止めてください。」
店長と神戸が止めに入る。

-中略-

その後はA妻がナイフを持ってファミレスに襲いに行くのを相棒二人(杉下神戸)止めたり、爆破実験に使用された砕石場。女に脅迫されていた協力者が明らかになったりでクライマックス。

女が息子との思い出の場所で自殺を謀ろうとする。二人の制止も虚しくボタンに手をかけたその時、A妻乱入。起爆装置を持った女と自分を手錠ど繋ぐ。

A妻「ここはAが(私に)罪の告白をした場所。ここを大好きだった人を自分は殺したんだって。そんな自分(A)でも(A妻は)受け入れてくれるかって(プロポーズ?)。」

女「くだらない!何なのよ。その言い訳は?四人で一緒に死にましょうよ!」

杉下「四人ではありません!A妻さんの体には新しい命が宿っています。」

A妻が女の手を自分の腹部に当てる。「分かるでしょ?」

杉下「息子さんに言えるんですか?無垢な命も道連れにしたと。」

起爆装置を手放し、崩れ落ちる女。

A妻「これが私の復讐よ。」



と、こんな話でした。
反響としては、良かった〜、って声が多かったです。でも、僕にはかなり壊れたプロットに思えました。

普通、刑事が容疑者と被害者家族を接触させるか? 物語でもナイフを持ってA妻が容疑者を襲おうとするシーンがあったけど、たまたま相棒の二人が現場に居ただけで、居なけりゃ新たな事件の創出ですよ。事件となれば降格ぐらいじゃ済まない。懲戒免職ものです。最後、説得もA妻の突入を許した段階で完全にアウト。 爆破で一般人を巻き込んだら、彼らが爆死するだけで無く、上役の首まで飛ぶでしょう。

説得方法の「無垢な命まで殺せますか?」もプロットとして、どうなんだろう?
テーマの読み込みが甘過ぎる、と思います。

聖戦と掛けて
自爆ととく。
その心は?

【手段を選ばない】が何故出てこない。

脚本の古沢良太と監督の和泉聖治はどんだけヌルいんだ? 登場人物が生きてない。というか、登場人物が台本の都合で動き過ぎです。

他人の子供が出て来たくらいで、脅迫して共犯者作り上げたり、犯人でっちあげたりする犯人女の心が折れますかね?

神戸にしたって役割を薄っぺらくしすぎで、及川ちゃんが可哀相。命わずかな老婆の願いを叶えたい、その気持ちは分かるけれど、まだ容疑者の段階の人間を被害者家族を引き合わせ、オトリ捜査に利用する、とか捜査が間違ってたらどうすんだ?てか、そんな不安要素を捜査に持ち込んで良い訳が無い。老婆に心を持っていかれすぎて、他の人間に対して配慮が欠如している。これじゃ【神戸=阿呆】だし、左遷されて当然な人材だよ。

相棒は好きだけど、このシリーズの問題点って加害者の人間性にフォーカスしすぎている部分だと思う。

酷い言い方すると、だいたい殺人とかそういった度を越えた選択肢を選ぶ奴って、人生詰んでるんだよ。人生が明るければ、未来を感じられたら、そんな選択肢選ばないもの。

殺される側には色んな奴がいるけど、妬ましさが犯罪に繋がるケースもあるし、どっちかといえば、(大小関係無く)社会に貢献している人間が殺されるケースの方が多い。

極端な例だけど殺された人々を書くね。
ジョン・レノン。ケネディ。ガンジー。キング牧師。

じゃ、彼らを殺した人間は?彼らは社会に何か寄与した?

加害者にも彼らなりの生き様、犯罪に至った経緯がある。けれど、それは被害者にもあるものだ。

作中、プロットは女に向けた台詞として
A妻に「彼(A)は(刑期を終え)罪を償ったのよ!」と喋らせている。
「Aは救われたんじゃない。Aが私(A妻)を救ったのよ」とも。

A妻が、第三者や世の中に対して、Aは罪を償ったと口にする。 これなら判る。けれど、被害者側に対して、加害者側が罪を償ったと強弁出来るものなのか?仮にしたとして説得力なんて無いだろ?
作中の流れだと民事裁判は行なって無さそうだし、遺族に対して賠償をしているようでも無い。Aが償った罪の多くは社会に対してであり、遺族に対してでは無い。また、仮に賠償をしたとしても、「罪を償った」と強弁出来るものだろうか?法律的には通っても、道徳的にどうなんでしょ。


失われた命は還らない。A妻が女を許さないのと同じように、女もAを許さない。別の命の話を持ち出して説得出来るとでも?当事者からしたら、全くもって無関係なんだよ、そんな話。これくらいのすり替えで納得する人って、幸せ回路というか、感受性過多なんじゃないかな。


最近だと、ベストセラー「告白」も漫画で読んだけど、こっちは逆に振り切れ、これもまた、気持ち悪かった。被害者家族が必殺仕事人になってるじゃない。。この暴力は許すのか?と。

結局、現在、日本で受け入れられるミステリーってどっちも同じなのかもしれない。加害者側に付くか、被害者側に付くか、それだけの違いしか無い。

実際の事件は解決しても、壊れた関係が残る。やり切れなさだったり、救われなさだったり。時と関係者の努力でゆっくりと癒していくもの。だけど、今流行っているのの多くは、関係者の苦悩を快刀乱麻。実際は切り捨ているだけなのを隠し、判りやすいカタルシスを目指す。

娯楽だから、何でもいいんだろうけど、それだったらシリアスに演出しなくてもいいんじゃないか?と思ったりする。所詮、ザルなんだしさ。
posted by ねこめ〜わく at 19:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月13日

映画題で覚える英単語1

忙しすぎる仕事から少し離れたので、英単語を覚える日々。


トビー・フーパーの人体発火映画
「Spontaneous Combustion(スポンテニュアス・コンバッション)」
Spontaneousは「自然に生じる」⇔forced「強いる」
combustionは「燃焼」

人を丸呑みする化け物がツボを押えた演出で出てくる映画
「greed(グリード)」は「貪欲な」

謎の球体のメッセージは何?ダスティン・ホフマン、シャロン・ストーン、サミュエル・L・ジャクソン出。有名どころ出ているのに案外地味。結構好みなのだが叩き売られているDVD。
「sphere(スフィア)」は「球体」
Hemisphere「半球」hemiはhalfと同義
equator「赤道」地球をequal(イコール)に割る線
posted by ねこめ〜わく at 20:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月10日

バス174

ブラジル・リオデジャネイロで実際にあった事件のドキュメンタリー。

強盗の失敗がバスジャックに発展。現場の確保も出来ぬまま、警察、メディア、一般人、特殊部隊がワラワラとバスを取り囲む。おまけに報道規制も出来ていない。

事件の規模以上に背後にある社会問題の根深さを感じさせる作品。

本当に怖いのは悪循環が正常に機能することだ。

存在を抹殺されたストリート・チルドレン
最底辺の仕事と認識されている警官
警察内部の腐敗
その中に存在する死の部隊
それを支持する「普通」の人々

鬱積した矛盾が蒸し暑さとなって伝わってくるようだ。

ラストに残されているありきたりな悪意は見る者すべての背筋を冷やすことだろう。


ただ一つ、残念だったのは民衆を煽ったワイドショーの存在、メディアの未成熟性が描かれていないことなのだが、

それを描けば主題がブレるかも知れず、

また、どっかのポジションに立たなくてはここまで突っ込んで描けなかったのかも知れず、

そこんとこは別に補うとして、傑作。
posted by ねこめ〜わく at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月10日

ジョゼと虎と魚たち

「ジョゼと虎と魚たち」

池脇千鶴演ずるところのジョゼは低い声で、しかめっ面、親無し下半身麻痺。

心が山嵐になってる女の子。

同居する老婆に乳母車を押して貰いの散歩中、妻夫木聡演ずる恒夫と会う。

恒夫はジョゼが住む借家を度々訪れる。彼女の心が少しずつほどけてゆく。

やがて老婆は無くなり、ジョゼはひとりぼっちになる。

恒夫は、彼女と旅に出る。




暗闇に眠っていた混じりっけのない想いは、
綺麗で無邪気な分、軽くない。

美し過ぎる映像が刹那を感じさせる。









と、まぁ、池脇千鶴は大層美しく、可愛く、魅力的でありました。

「帰れ」とか言いながら、背広の背中を掴むの。
あの可愛らしさは反則。
あれで帰れたらド外道決定。
posted by ねこめ〜わく at 19:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月06日

恐怖劇場 アンバランス 3話「殺しのゲーム」

恐怖劇場 アンバランス 3話「殺しのゲーム」

あらすじ
〜ジャケット裏引用〜
自分が不治の病である事を知った岡田(岡田英次)のもとに、見知らぬ男が現れた。鈴木と名乗るその男は、自分もまた余命いくばくもないことを告げ、岡田に「奇妙な提案」を持ちかける。だがそれは、死の恐怖から逃れるため“互いの命を狙い合う”という「殺しのゲーム」だったのだ−。


物語を読み終えた際、余韻を残す作品は楽しい。ゲームに関わりたくない岡田と執拗に迫る鈴木。鈴木にとって向かってこない岡田を殺すことはゲームにならない。『平行線を辿るかに見えたゲームが何によって変化をきたすのか?』がこの映画の肝にあたる。

自身の命が消え去りそうな時でさえ残る激情って一体どんなものなのだろう?

観終わった後、ゲームのルールを作った鈴木の捩れた愛情を想う。

岡田が別の選択を選んだなら、鈴木はどう振舞っただろう?

鈴木の言葉はどこまで真実だったのだろうか?
posted by ねこめ〜わく at 01:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月06日

ハンニバル・ライジング

ハンニバル・ライジング

「羊たちの沈黙」、「ハンニバル」、「レッド・ドラゴン」と観ているので、なんとなしに映画館に向かいました。内容は闇のヒーロー、ハンニバル・レクター博士誕生秘話です。シリーズを通して登場するのはレクター博士のみですが、本作は幼少期、青年期の彼を描いているので、アンソニー・ホプキンス爺は出てきません。近年たびたび見かける「ビギニングもの」の根底にはハリウッドの深刻なアイデア枯渇がありそうですが、あまり知られていない俳優さんを前面に押し出せるという点に置いて、悪くないものかもしれません。主演のギャスパー・ウリエルは表情が読めず不気味で、どことなくホプキンス翁が演じたレクター博士を想起させます。ストーリーが平坦で、主役の演技にかかる比重の大きな映画ですが、彼が芸達者であることに救われています。「製作側がもう少し想像力を掻き立てるような演出を心掛けてくれたら」と悔やまれます。分かり易さに執着し過ぎた感が。

映画を観てわかること。
「レクター博士が何故カニバニズムに目覚めちゃったのか?」
「トレードマークでもあるオールバックはいつから始めたのか?」
「レクター博士の、多分、初恋」

絵は綺麗。残酷描写もほどほどにありますが、あんまり怖く無いです。思いつく理由は「悪人が悪人をいびり殺しているようにしか見えないから」。復讐モノですが、きっかけになる仕打ちの描かれ方がぼやけています。また、復讐者であるハンニバルに心の揺れがほとんど感じられません。割とメタルブラックです。我々、一般人?にとって彼岸の話なので、「チンタラしてないで、サクっとやっちゃえよ、you!」となります。あんまり怖くありません。

そのほかの面白かったところというと、大げさな日本文化に対する描写でして、すべては劇場にて楽しんで貰いたいところです。「まともに日本文化を表現したら、映画栄えしないよなぁ」と思いつつ、スクリーンに展開されるエキゾチックジャパンに当惑するねこめ〜わくでありました。おそまつ。
posted by ねこめ〜わく at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月28日

ファビュラス・バーカー・ボーイズ、来月で最終回

ファビュラス・バーカー・ボーイズ、来月で最終回

あぁ、終にこの時が来てしまったか。雑誌の作りの変化から随分浮いてしまったように見えていたけれど、とっても残念だ。

ファビュラス・バーカー・ボーイズ、来月で最終回。広告的要素が強く、企業寄りの記事が目立つ映画評の中で、確固たる見立てと知の深さを元に、一観客の視点で作られた質の良い記事だったのに。

ファビュラス・バーカー・ボーイズとは、ウェイン町山こと町山智浩さんとガース柳下こと柳下毅一郎さんのユニット名であり、彼らは雑誌「映画秘宝」の中で毎回2ページを割いて、その時期公開中の映画について、論評する(好き放題喋る)コーナーを持っていた。

話し言葉で、冗談を交えて書いてあるから、軽く読めてしまうけれど「プロがただの映画好きとして書く、それが商業誌に載る」ということには、相応の覚悟、反骨心が無いと出来ないことと推察する。

反骨とはファッションでも、反体制を気取ることでも無い。目の前の出来事に素直であること、内なる声に率直であること。無知を誇らず、知に溺れないこと。拠るべき大樹を持たぬそういう在り方は難しいことだけれど、検証無しの「反骨っぽい」で満足なら文化として価値が無い。自身で何も考えず、何も構築出来ないのだから。
posted by ねこめ〜わく at 11:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月10日

硫黄島からの手紙

 硫黄島からの手紙

 この映画を、なぜ日本人の手によって製作出来なかったのだろう? 自分たちの話なのに、終ぞこれほど自然な物語は生まれなかった。

 結局、今まで作られた作品の多くが当時と正面から向き合わなかったのかもしれない。

 一年ほど前になるかな。相手さえ映せない脆弱なメンタリティで語られた戦争映画が、キャッチーな広告に乗って業績を残した。コマーシャルに映るのは死にゆく兵士たち。ヒロイックなBGM。「.泣いて気分をリフレッシュ」ってブームだったもんね。でも、それって戦争を映しているのかな?人の生き死にが関わっているとはとても思えないマイルドさで、劇場から一歩脚を踏み出せば忘れてしまう。それ以前に作られた○―レライも亡国の某も同じだった。要は軽い。その時だけ浸って楽しめるほど、軽い。

 「硫黄島からの手紙」で描かれる戦争はそうではない。過酷で、惨めたらしく、目を背けたくなるほどの地獄絵図だ。にも関わらず、この作品は僕たちに目を逸らすのを許さない。なぜなら、彼らには切なる理由があるから。そして、たとえ僕たちがその時代に生きていたとしても、同じことしか出来ないことが分かるから。

 正直、観るのが辛い。不条理であるし、何の望みも無い。ひどく滑稽で、それでいて悲しい。僕たちにできることはこの記憶を忘れずにいることだけだと思い知らされる。

 この映画には過去と向き合わない平和思想も地に足の着かない民族主義も無い。最高の反戦映画だと思う。
posted by ねこめ〜わく at 13:09| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月04日

魔女

「魔女」
1921年製作、スウェーデン作品。監督、ベンヤミン・クリステンセン。

DVDジャケット引用
クリステンセンはここに普通の物語映画とも記録映画とも異なる、前例のないような種類の映画を作った。映画はまずあたかも大学における講義のように、古代世界における宇宙観、中世における悪魔や魔女について解説を試みる。それに続いて劇仕立てで中世の魔女の活動、魔女裁判などを見せる。映画の後半では舞台は現代(1920年頃)に移り、現代のヒステリー症の女性と中世の魔女との類似について解説が加えられる。



この映画がすべて正しいかどうかは分からないが、いくつかの根本的な謎について答えを示してくれている。

魔女が老婆の格好をしているのは何故か?
 
証言として残る悪魔との契約、儀式が突飛〔馬鹿げている〕のは何故か?

生産性の欠片も無い魔女狩りという行為が何故、社会のシステムとして運用されたのか?


「状況さえ認識できれば簡単に答えられること」なのだが、どうだろう?(推理小説の答えを知ってから読んでいない人に訊ねるようで意地が悪いが、シンプルで論理の筋道がしっかりした良問を目にすると、聞いてみたくなるのが人の常というもの。ご容赦願いたい。)僕はこの映画を観て「あぁ、そういうことか」と納得したのだが、頭の良い人なら分かっていることかもしれない。

この映画は最初から最後まで抑え目の演出で煽りが無いのだけれど、結果的にキリスト教の負の側面を描く格好になったから、ドイツやフランスでは1920年代半ばまで、アメリカでは1930年代になるまで、公開されなかった。「ホテル・ルワンダ」、つい最近の「太陽」、これから公開される「アブダクション」もそうだけど、商業はタブーとの食い合わせが悪い。

歴史があるのだからその当時の野蛮な風習を受け持つ可能性も無数にある。現在の人間が過去をとやかく言っても始まらないが、歴史を知り、そこから学ぶことは何より大切だと思う。対象になった舞台も、作られた時代も、随分と古いが、この映画は少しも古びていない。この映画に含まれる寓意は現在にも通用する。
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2006年09月08日

WXIII 機動警察パトレイバー 

現在公開中の怪獣映画「グエムル」にパクリ疑惑が浮上している。劇場版アニメ、パトレイバー第三弾「WXIII 機動警察パトレイバー」に設定から、怪物の造形からそっくりなのだという。確認してみた。

韓国映画「グエムル」は日本アニメの盗作だった?(痛いニュース 引用)

メタメタ似ている。ディズ二ーなら間違いなく裁判を起こすレベル。監督が「殺人の追憶」のポン・ジュノさんだったから、ちょっと期待していたのだけれど、オリジナルを作ろうとする情熱は感じられない。やっつけ仕事なのかな?

とはいえ、観客としてはあまり問題が無い。映画製作者においては無断拝借した汚名と、これから自作が無断拝借されても誰も弁護してくれないペナルティが付いちゃうけど、それは自業自得だし。

作品を楽しんだらいいのだと思う。元ネタでもある「WXIII 機動警察パトレイバー」も知られるきっかけになったし。

と、思ったら、「グエムル」擁護派の方の一部が「WXIII 機動警察パトレイバー」より『面白い』ことに『正当性』を見い出そうとしている。パクリはパクリ。面白さは面白さ。別次元の問題なのに。それにさ、『面白さ』なんて言ったらそれこそ、人それぞれでしょう?

有象無象の非難の中には、内容も確認せずに「駄作」の烙印を押しちゃう人もいるだろうから、過敏に反応しちゃう人もいるのだろうけど、だからってオリジナルの価値まで下げてほしくないなぁ。

「WXIII 機動警察パトレイバー」の面白さは怪獣にも、ロボット(パトレイバー)にもありません。(初っ端の怪獣の登場シーンは素晴らしくよく出来ていますが。)この映画で描かれているのは、一人の女博士の異常な愛情と、その対象にならない刑事の彼女に対する愛です。

焼肉を食べに行ったのに、精進料理を出されたような腹立たしさを感じる人はいるでしょうし、実際にそれが合わなかった人も大勢いたと思う。けれど、それはVに始まったことでなく、Tからそうでした。このシリーズの劇場版はパトレイバーって看板を掲げて、好きなことをやってきました。テレビアニメで活躍するメンバーはわりと蚊帳の外ですし。やり放題ともいえますが、他方、集客が見込めた分、制約少なく挑戦的な映画が作ることが出来たともいえます。(Uに至っては大傑作。僕のフェイバリット・ムービー。)

TとUのスケールからいうと、Vはとっても地味。その上、単調だし、サービス少ないし、毛色が違うから、T、Uのファンにも受けはよろしくありません。

けれど、そのやるせなさ、居心地の悪さ、なかなか消えない後味といったら十分に立派な映画なのです。その救われなさに癒される人もいるのですから、僕のように。
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2006年08月27日

ユナイテッド93

 ユナイテッド93

 基本的に目から得た情報は拭い難い。例えば、手品。無から有を生み出すことなんて、論理的にありえない。なのに、皆が皆、大仰に驚いてみたりする。「在り得なさ」を楽しみに来ているのだから当然なのだけど、何故、人が「在り得ない」と驚くのか?ということを考えると、目に対する絶大の信頼に行き着く。目にしたものは受け入れてしまう。暗闇に対する恐怖を想像するまでもなく、目を閉じて三歩歩いてみれば簡単に理解できる。「見えていない」と極端に不自由になる。それだけ目に頼っている。見たものを信じないと生が成り立たない。

 視界に入るものはとめどない。目を開いている限り絶え間なく入り込む。だから、全部受け止めてなんかやってられない。見ているようで見ていなくて、見ていないようで見ていることがたくさんあったりする。信号待ちで突っ立っていても、信号機の向こう看板までは見えていなかったり、ぼーっと眺めているだけのテレビの内容を急に思い出したり。

 生きている限りすべてを意識的に受け取るってことは難しい。メディア・リテラシーってのも大切だけれど、受取り手の自助努力だけに頼ってはなかなか進展しないよね。

 実際の事件を元に、ドキュメンタリーっぽい作りの映画を作るとしたら、それ相応の慎重さがあって欲しい。それが現在に続くナイーブな問題であるのならなおさら。相応の但し書きをつけるとか、どうにかならなかったのかな?それで金儲けしているのに。

 飛行機は錐揉み状態、足元も覚束ない機内なのに、華奢な台車一つでどうやってコクピットのドアをブチ破れるのか?この描写にはあきらかなフィクションが含まれていると思う。そうあって欲しい願望。テロリストが体育1か2にしか見えないのもそう。マクロな惨劇としてより、ミクロな悲劇として消化したい願望。

 真実は分からないけれど、「アメリカ人はこう捉えたいんだ。」ってことは分かった。それくらい深い問題であることも。
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2006年08月16日

遊星からの物体X

遊星からの物体X

ストーリー  DVDジャケット引用

舞台は、1982年冬、南極にあるアメリカ観測基地。男性12人の観測員からなるチームが、宇宙から飛来し10万年以上も雪の中に閉じ込められていた異星生物を発見する。その生物は凍結状態から解き放たれると、姿形を変えて観測チームの一員になりすまし、恐怖と戦慄を巻き起こすのだった。



よく出来たSFサスペンスです。

外界から閉ざされた基地。忍び寄る殺戮の影。基地内に起こる疑心暗鬼。

サウンドノベルにしても良いものになりそうなのだけど、SF版「かまいたちの夜」になっちゃうかもしれない。

あぁ、でも、このささくれだった感じ、良いなぁ。極限状態を言葉少なに、淡々と見せるカーペンターさんの手腕は凄いと思います。
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2006年08月13日

喪の仕事

喪の仕事

ストーリー   ビデオジャケット引用

陽介に突然、悲報が舞い込んだ。親友の望月がガンで死んだのだ。望月が残したメッセージは、ビデオの中で微笑む声にならない言葉と、謎の女性・弥生に贈るはずの未完成のキャンバス。それらは何を意味するのか。その謎を解くため陽介は弥生に近づく。調べていくうちに、誰も知らない¨真の望月¨が見えてきた。そこから望月を取り巻く若者たちの新たなドラマが始まる・・・。友人の死を通して、24歳の若者たちの心情的変化を現代タッチで描き、君塚 匠が若き才能を遺憾なく発揮した監督デビュー作。



(「悲報が舞い込んだ。」・・・「舞い込む」のって吉兆ってイメージがあるのですが、僕だけですかね。「現代タッチ」って言葉も最近聞きませんが、発売、1991年八月。15年前かぁ、古いはずだわ。)

その昔、アルゴプロジェクトというのがあって、
http://home.catv.ne.jp/hh/kcm/cinema/argo.htm
ここから生まれた映画は独創的で、作り方の丁寧なものが多かったのですが、
http://www.argopictures.jp/index.html
本作もこのアルゴプロジェクトの作品です。

本作はたくさんの要素を詰め込みすぎた感がある。親友の死、その後の仲間たち、陽介たちには見せなかった親友の側面、彼の彼女と真っ白なキャンバス、そこに深く踏み込んでしまう陽介と仲間たちとの距離。話の流れとしては、すべてチェーンで繋がっているはずが、繋がらない。語らない陽介とその分語る業を担わされた登場人物のおかげで酷くバランスが悪い。影絵のように陽介を浮かび上がらせたかったのかもしれない。

難しいことはナレーションに任せるのも一つの手であるし、大切なことはすべて語らなくちゃいけないってこともない。無論、語っちゃ駄目ってことでもない。映像を通して魅せてくれたらいいのだから。

しかし、この作品には作り手の主張を100パーセント伝えようとする不自然さがある。脚本も君塚匠氏によるものなのだが、台詞回しが臭い。素に引き戻される。

葬式、四十九日等の主人公たちの立ち位置も変で、親族に踏み込み過ぎている。リアルとして受けて止められる親族とそうでない陽介たち友人の対比を描きたかったのかもしれないが、親族を演じるベテラン勢が凄まじいので、陽介役の永瀬君が宙に浮いている。(正直、親族の役者さんたちを集めたら、質の良い八墓村ができると思う。)

何だかんだ文句を言いつつ、最後まで観ました。ケチョンケチョンに言いましたが、映画に対する愛は伝わってきます。作りも丁寧です。
posted by ねこめ〜わく at 12:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月09日

映画書庫

いつのまにか物置が映画書庫になってしまった。この棚に注ぎ込んだ金で何が買えたのか?この映画を見た時間で何ができたのか?ふと、考えることがある。(順当にTVゲームに費やされるから今と変わらないんだけどね。可能性として。)

映画って凄いっていつ頃思ったのかは忘れてしまったけれど、始まりはスタンリー・キューブリックだったように思う。「時計じかけのオレンジ」に始まり、「2001年宇宙の旅」、「シャイニング」、「フルメタル・ジャケット」、遡って「非情の罠」、「現金に体を張れ」、「突撃」、「スパルタカス」、「ロリータ」、「博士の異常な愛情」、遺作「アイズ・ワイド・シャット」に至るまで、流通に流れている彼の作品はほとんど手に取った。映画における作家性に気付いたから。つまり、どのような作品であれ、彼の作品には彼の匂いがする。誰もが知っている巨匠なので語るのもおこがましいが、僕が彼の作品が素晴らしいと思うところは、思考の冷徹さ、優れた構成力。好奇心と邪気をもった宇宙人が人間社会を観察しているような視点を体感できる。

観尽くした後、別の際立った感性にも触れてみたいと思った。けれども、闇雲に手に取るのは時間が掛かりそうだったから、古本屋で購入した本『〔洋画〕ビデオで観たい ベスト150 著、淀川長治』を元に一つ一つ潰していくことにした。身近なレンタルビデオ屋に足しげく通い、お目当てのものを探した。正直、合わないものもあったけれど、とりあえず、千本ノックのつもりで、半分程度、観た。

そのうちに琴線に触れる作家が幾人か見つかった。



フランク・キャプラ、ビリー・ワイルダー、シドニー・ルメット、アルフレッド・ヒッチコック、ジャック・ベッケル、フェディリコ・フェリーニ、ジャン・リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、ルキノ・ヴィスコンティ、ロベルト・ロッセリーニ、エーリッヒ・フォン・シュトロハイム、フリッツ・ラング、アンドレイ・タフコフスキー、アレクセイ・ゲルマン、ロベール・ブレッソン、ルイス・ブニュエル、ヴェルナー・ヘルツォーク、ラス・メイヤー、ドゥシャン・マカヴェイエフ、アレハンドロ・ホドロフスキー、エミール・クストリッツァ、ハル・ハートリー、アッバス・キアロスタミ、モフセン・マフマルバフ、ヴィム・ヴェンダース、デレク・ジャーマン、マイケル・チミノ、サム・ペキンパー、クリント・イーストウッド、ブライアン・デ・パルマ、マーティン・スコセッシ、デヴィット・リンチ、ヤン・シュヴァンクマイエル、デヴィット・クローネンバーグ、ジョン・カーペンター、ニール・ジョーダン、コーエン兄弟、クエンティン・タランティーノ、キム・キドク、ジョニー・トー、ピーター・ジャクソン、フェルナンド・メイレレス、デヴィット・フィンチャー、ポール・トーマス・アンダーソン、ウェス・アンダーソン、トッド・ソロンズ、増村保造、黒沢清、三池崇史、平野勝之、石橋義正。(順不同)



本棚が、できた。

できれば、すべてのソフトがデジタル化して、大型図書館か何かに一切合財保存され、費用さえ払えば、簡単に貸し出されるような時代が来ることを望む。零れ落ちて無くなってしまうのが怖いから、買い集めるのだけれど、この金で何ができたのか?と小一時間。
posted by ねこめ〜わく at 22:09| Comment(4) | TrackBack(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月27日

残るもの、消えるもの

 残るもの、消えるもの

 学生時代、国語の教科書に「記憶」にまつわる話が載っていた。
 エッセイで友人との会話形式だったように思う。

 筆者は旅行の際、何枚も写真を撮るのだが、友人はほとんど撮らないという。「何故撮らないのか?」と尋ねると、「記憶しようとする意思が薄れるから」という答えが返ってくる。「記憶」を残すために撮った写真が担保になり、意識的に風景を観なくなる、と。筆者は会話の中で、友人より記憶を残せていないことに思い至る。「記憶」を残すことに夢中になり、記憶が残らない。確かこんな話だった。もう少し長い文章だったような気もするが、前後の文章は忘れてしまった。その他に覚えていることと言えば、教師が「今を真剣に生きろ!」みたいなテーマに広げていたことくらいで。(当時は今以上に「真剣に生きる」って意味が判らなかった。教師自身が真剣に生きているのかも判別不能だったし。真剣って何だろね。)

 まぁ、いいや。

 今生の別れと思えば、何気ない日常よりは記憶に残るだろう。一度きりって思い込むことで出てくる火事場のくそ力みたいなものもあるだろう。「人間はほんの数パーセントの能力しか生かしていない」って北斗の拳でも言っていた。うん。

 とにかく、この文章を読んだ頃くらいから僕は写真を撮らなくなった。ここ最近まで頼まれてシャッターを押す以外にカメラに触ったことが無い。(携帯の写メールって便利よね。)青年期の刷り込みがいかに根強いものか分かって頂けると思う。

 しかし、顧みて自分が意識的に生きてこられたか?というと、大いに疑問が残る。大概、無自覚に生きてきた。人生、ごめん。僕に吸われた酸素、ごめん。

 結局のところ「意識的に生きている人間の一部が、写真を撮らないのであって、写真を撮らないと決めた全ての人間が、意識的になれるって訳じゃない。」なんて、ありきたりな結論に行き着く。

 思い返してみると、随分と胡乱な人間なので、ほとんどの記憶が断片的なイメージでしか残っていない。トレースできるのは、自分が面白がったものを中心に、半径50センチくらいの興味を細い糸にして繋いだ記憶のワッカ。だから、大好きな映画の話をする時でさえ、正確にあらすじを語れない。悲しいことだが、考えても無駄なので、気に入ったものは忘れたころに手にとって観返すことにしている。ザルに水を溜めたいなら浸けておこう。とりあえず、水が溜まっている気分は味わえる。

 このようにして同じものを何度か観ることがあるのだが、毎度、同じ感覚を味わうとは限らない。体調、心境の変化?何がきっかけになるのかは分からないが、以前面白がった所がそうでもなかったり、気にならなかった所が印象に残ったり、と感覚に変化がある。(元々の読み取りが甘かったって可能性もあるけど。)そういうのが楽しくもある。

 記憶って何かって考えると難しい。一期一会の精神も確かに大切だけれど、予備知識無しに見たり、ぼんやりと眺めたり、ポイントを定めて観たり、様々な角度から見ることで補完されることもある、と思う。

 映画館一度っきりじゃあ、多分、人の半分も記憶に残らないから、大好きな映画は手元に残す。真っ当な人生を押しのけて、DVDを買い散らかしてゆくのだ。なけなしの銭を撒き散らして地に堕ちていくのだ。わはは。
posted by ねこめ〜わく at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月21日

殺人捜査

 殺人捜査

 ストーリー   allcinema引用

 ローマ市警の本部長が、愛人と口論のあげく、彼女を殺害してしまう。警察の捜査が進む中、彼は自白するが、当局の上層部は誰もそれを認めない……。権力の甘い罠をテーマにした社会派ドラマの傑作。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=8768




 社会派ドラマという側面もあるのだろうが、僕には虚栄心の話に思えた。ひずんだ自分を 立派に見せる肩書き。この男の場合、役人でその上、警察の偉いさんってところに権威と権力の衣があって、多くの人間は容易くなびいてしまう。しかし、そのような枠組みも、外にいる人間にはあまり用をなさない。愛人に本質を突かれて、取り乱し、殺してしまう。たくさんの証拠が残したにも関わらず、捕まらない私。さすがは本部長、かすり傷一つ無いぜ。しかし、考えてみると、私は誰の目にも映らないのか?愛人に突かれた部分は確かに自分だった。今の私は何処にいる?こんなに私の痕跡を残しているのに、どうして、皆が素通りするのか?何故だ?こんなに偉い私を、何故見ようとしないのだ?

 なーんてな。
posted by ねこめ〜わく at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月15日

暗黒街の弾痕

暗黒街の弾痕



ストーリー 

刑務所を出所した前科者エディは、恋人のジョーンと結婚し、真面目に働いてゆくことを決意する。しかし、世間の前科者に対しての風当たりは冷たい。エディは真面目に働こうと思っていても断られ、宿にも泊まれず怒りと苦しみだけが募ってゆく日々。そんな時、銀行が何者かに襲われ、エディに濡れ衣が着せられる。

http://www.pc-success.co.jp/dir/catalog/V0116/V01162F501O0E.html






 原題「You only live once」。訳すなら「人生一度っきり」となるのかな?


posted by ねこめ〜わく at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月14日

影なき裁き

 影なき裁き

 ストーリー  DVDジャケット引用

 アフリカでヴードゥー教の恐ろしい体験をして神経を病んだミッション・スクールの女教師グエンは、回復してから英国の片田舎の私立学校に職を得た。遠路遥々やって来たグエンを町の人々は暖かく迎え入れてくれたが、やがて彼女の周辺で奇怪な現象が起こり始める。1人調査に乗り出したグエンだが、そこは邪教が支配する恐ろしい町だった!


 
 
 ハズレを引いた時、リアクション過程。

 自身の不見識さ、見立ての不味さの認識。何に惹かれて手に取ったのか冷静に考えて、自分の弱点を覚えておく。同じ過ちを繰り返さない為の検証。具体的には作品の製作過程、製作関係者、関連作品のチェック。距離の取り方を把握できたなら、精神衛生上、その作品で楽しめる場所を探す。

 製作が1966年なんだけど、この頃は邪教崇拝ネタはタブーだったらしいのね。ロマン・ポランスキー監督の「ローズマリーの赤ちゃん」でさえ、この二年後の作品だし、最先端かも。

 主演は「レベッカ」、「断崖」のアカデミー賞女優ジョーン・フォンテイン。しかし、この映画の演技は(現在の感覚でいくと)相当オーバーアクションなので、当時どのように捉えられていたのか?気になるところ。この映画の演出方法が不味かったのか?それとも、全般的にこういう演技が受けたのか?舞台でも、無声映画でも似合いそうに無い演技が感慨深い。
 
 純朴さが裏返った時の恐怖は普遍的なテーマである。

 儀式の様子も学園祭の出し物感覚で観たら楽しい。

 脇を固める役者さんにキャラが立っている人が二人ほど!

 ハマー・フィルムのあだ花として、エポック・メイキングとして!(要はハマーに興味が無い人間は観る必要が無いってこった。)
posted by ねこめ〜わく at 23:55| Comment(1) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月13日

ローズ・イン・タイドランド

 ローズ・イン・タイドランド

 ストーリー   
 「不思議の国のアリス」を愛読するジェライザ・ローズ、十歳。彼女の日課は両親の「世話」。具体的に言うと、元ロックスターのパパがクスリで「バケーション」することのお手伝い。すっかり太ってしまったママの脚をマッサージ。
 パパはお気に入りの「ユトランド」の地図を前に今日も「バケーション」。旅から戻ると寝ているローズを揺り起こし、二千年以上も地底で眠り続ける「沼男」の話をする。翌日、クスリのやり過ぎでママが亡くなる。ママを盛大に送り出したあと、パパとともにローズは旅に出る。「ユトランド」を目指して。



 監督、テリー・ギリアムは現実とメルヘンの地続きを描く作家さん。SF、ファンタジー、アクション、サスペンス、ホラー。映画館には浮世離れした話がザラにあるけれど、ギリアムさんの作品の特徴はその境界を強く意識させるところある。

 タイドランドは干潟の意。大地と海の間。

 現実もメルヘンもそれ単体で終わらない。現実がメルヘンを生み、メルヘンに生きることで現実に若干の影響を与える。ただ、当然のことだが、ありきたりな思念ではその境界を行き来できない。主たるキャラクターは強力な思念の拠り所を持つ者である。偶然、とばっちりのケースもあるが、彼らが立った地点はちょうど境界線上で、僕たちが立ち入れない場所である。(実際に行き来できる人は保護者同伴で病院へ行こう!)

 だから、彼らを観ているだけで、面白い。彼が何を避け、何を求め、何に壁を感じるのか?体感することは無いけれど、これらの問い掛けは僕たちの心の中にもあることだから。

 登場人物が境界線を易々と行き来することに違和感を覚えるかもしれない。けれど、その引っ掛かりこそが彼の作品の印象になる。逆にいうとあって当然。だから、憐れんだり、呆けたりしなくていい。登場人物は立派に生きている。

 大入り満員、立ち見も出た上映の客層はほとんどが女性。期待していたモノとは少々違ったみたいで、フラフラとその場を離れていった。

 ギリアムさんの映画は明るいメルヘン、暗いメルヘンと大抵しっかり分かれるのだけれど、本作はどうだろう?今までの作品は多分暗い方が多い。けれど、本作は簡単に識別し難い。人による、だろうか?

 「サイレント・ヒル」でも娘役で良いトコを持っていったジョデル・フェルランドが主演。映画を観て、「これは彼女しかできない演技だ」と認識した。人形の頭を指人形に見立てての一人芝居は天才子役ダコタちゃんにさえ不可能に思える。
posted by ねこめ〜わく at 23:27| Comment(0) | TrackBack(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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