2006年07月11日

サイレントヒル

 「サイレントヒル」

 ストーリー   公式ホームページ引用

 その街に、一歩踏み込めば、後戻りはできない・・・
ローズ(ラダ・ミッチェル)とクリストファー(ショーン・ビーン)は、赤ん坊の頃に養女として引き取った娘、シャロン(ジョデル・フェルランド)の奇妙な言動に悩んでいた。

 ふだんは愛くるしい9歳の少女シャロンは、しばしば情緒不安定に陥り、何かに取り憑かれたかのように「サイレントヒル……」と謎の呻き声を発するのだった。

 そんなシャロンの異変に心を痛めたローズはウェストバージニア州にサイレントヒルという街が実在することを探りあて、シャロンを連れてその街を訪ねることにする。

 サイレントヒルは30年前に大火災が発生し、無数の人々が死亡した忌まわしき事件により、今は誰も近づかない、廃墟と化した街だった。携帯電話で連絡してきたクリストファーの制止をふりきって、サイレントヒルへと続く狭い山道をゆくローズ。

 しかし不意に路上に飛び出してきた少女を避けようとした彼女は車ごと山腹に突っ込み、そのまま意識を失ってしまう。

 夜が明け、目を覚ましたローズはシャロンの姿が消えていることに気づく。あたり一面、霧に覆われた道を歩き出した彼女は「サイレントヒルへようこそ」と記された看板を発見し、全くひと気がなく、不気味なまでに静まり返った街の中へと足を踏み入れる。

 やがてシャロンらしき子供のシルエットを目撃したローズは、その影を追って、街の中を彷徨い始めるのだが…

 次第に明らかになっていくサイレントヒルに隠された忌まわしい秘密。

 30年前、何がサイレントヒルで起きたのか?

 なぜ、シャロンはこの街に消えたのか?

 そして、想像を絶する恐怖の迷宮に囚われていくローズは、サイレントヒルから抜け出すことが出来るのか――。




 何より、クリーチャーが良い。

 異様で気味が悪く、それでいて目を惹く美しさがある。この作品はゲームの映画化なのだが、キャラクター・デザインはゲームから引き継いだのだろうか?ゲーム版は手を付けていないのだが、このデザインはすごい。映画に出てくるクリーチャーにはさまざまなものがあったけど(甲殻系とか内臓系とか)、基本「人」、動きで気味悪がらせるってのは新鮮だった。「人」っぽいから質感が伝わってきて、何か叫びそうで、怖い。

 クリーチャー・デザイン、パトリック・タトポロス。あんたは偉い。この人が関わっている映画を探してみると、一つあった。「アンダーワールド・エボリューション」。・・・今度見てみます。


 監督はクリストフ・ガンズ。その他の監督作品「ジェヴォーダンの獣」「クライング・フリーマン(池上遼一先生の!)」


 シャロン役ジョデル・フェルランドは存在感がある。子役って往々にして他の役者を食うことがあるけど、今回もそんな感じ。ローズ役ラダ・ミッチェルに較べると時間にして半分くらいしか画面に出てこないけど、印象に残るのはジョデルの方。この子が出ている他の作品観てみたいなぁと調べてみると、テリー・ギリアムの「ローズ・イン・タイドランド」で主役を張っていた。そりゃあ、演技うまい訳だ。 
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2006年07月10日

M:I:V(ミッション:インポッシブル3)

 M:I:V(ミッション:インポッシブル3)

 
ストーリー  パンフレットから引用

 今は第一線を離れて教官として日々を送る*IMFのエージェント、イーサン・ハントは、恋人ジュリアとの婚約パーティーの途中で突如ミッションの依頼を受ける。ブラックマーケットの商人、オーウェン・ディヴィアンの監視任務にあたっていたイーサンの元訓練生、リンジーが拘束されたという。エージェントのルーサー、デクラン、ゼーンと共に、リンジー救出作戦を開始するイーサン。敵との激しい攻防の末、イーサンは何とかリンジーを救出するが、リンジーの脳に埋め込まれた小型時限爆弾の作動停止に失敗し、その命を救うことができなかった。
監禁場所から押収したラップトップPCから、ローマでディヴィアンの取引が行なわれることが判読され、イーサンはディヴィアンを拘束すべくルーサーたちと共にバチカンに向かう。だが、イーサンが自分に課したその“ミッション”は、イーサンの真実の姿を知らないジュリアの身を危険にさらすことになるのだった。ディヴィアンの周囲に飛び交うコードネーム、“ラビットフット”とは?そしてリンジーが秘かにイーサンに当てたマイクロドットに隠されたメッセージの内容は?ローマ・バチカンでのミッションが進むにつれ、やがてイーサン自身もこれまでになかった絶体絶命のピンチに陥ってゆく――。


 *IMF=International Monetary Fund(国際通貨基金)ではなくて、Impossible Mission Force。exciteな翻訳でだいたいの意味を取ってみる。不可能任務軍。お見事。



 導入部はわりとスローテンポですが、スイッチが入るとつるべ落としのようなアクションが目白押しです。また、前2作に較べるとドラマタッチです。「24(トゥエンティ・フォー)」に通じるような作風で、主人公の苦悩が強く描かれています。展開がガラリと変わる箇所もあり、その点も「24」に通じます。話の粗に目がいってしまうところも。

 この映画は大きくお金が掛かっているのですが、テレビドラマのように見えます。これだけお金が掛かっているのに、テレビドラマっぽい。何故だろう?

 ぼんやりと思うことは「この作品がとても分かりやすい」ということです。本作では一箇所だけ、意図的に説明されない部分があるのですが、基本的にはすべての問いに対し、答えが用意されています。意図が分からないものが出てこない。

 このことは「図らずも見てしまう可能性があるテレビ」と「意図的に劇場まで足を運ばないと目にする機会が無い映画」との違いなのかもしれません。テレビの方が敷居が低い分、丁寧な説明を必要とするのかなぁ?と。

 本作は、大変迫力があり、作りこみも丁寧で、そつが無く、アクション映画としたら十分に及第点は超える作品です。これ以上のアクションはなかなか見当たらない。これほど大画面に見合う映画も少ないことでしょう。劇場でハラハラしたい人にはもってこいです。金額分以上に充分楽しめます。

 ただ、映画好きとしましては、何か物足りなさを感じる。作品が解説されすぎているからかなぁ?サッパリしていて、あんまり余韻が無いのです。鑑賞中のインパクトと劇場を後にして残る印象のギャップが激しすぎるので、そう思うだけかもしれません。

 ディヴィアン役のフィリップ・シーモア・ホフマンはやっぱり凄い役者さんです。怖い。かっこいい。得たいの知れなさはさすがオスカー俳優。後期マーロン・ブランドを継承するのは彼しかいない。と、思います。

 トム・クルーズは今回も全力疾走。映画「コラテラル」の時も殺し屋なのに、自身の足をいかんなく発揮しておりましたが、今回も歯を噛み締めて、手足を大きく振り、全力で自身の限界に挑んでいます。

 このシリーズを1〜3と観て、分かったこと、思ったこと。
IMFのメンバーの基本ユニットは4人。
トム・クルーズ以外のメンツは目立たない後方支援。
主役以外の役でシリーズを通して出てくるのはルーサーのみ。
1のルーサー役ヴィング・レイムスが唯一、トム様を喰っているが、その後の作品ではお得意の笑顔を見せない。目立たない。(印象が薄いので、2,3のルーサーは別人が演じていると思っていました。1のルーサーだけがよく笑うから、彼だけは実のところマイケル・クラーク・ダンカンではないかと。)
Googleイメージ「マイケル・クラーク・ダンカン」
http://images.google.co.jp/images?q=%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%B3&hl=ja&btnG=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E6%A4%9C%E7%B4%A2

 パンフレットは上品な作りの為、僕のような下世話な人間には少々物足りないものでしたが、一箇所だけ面白かったところがあります。それは監督のJ.J.エイブラムスがインタビュー。「この作品で一番怖かったところ」と聞かれて、トムがスタント無しで行なったアクションシーンを上げています。トムのプロ意識の表れなんだけど、監督としては、生きた心地がしないだろうな、と。
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2006年07月09日

映画好きの怒り

 映画好きの怒り

 最近のことだけど、劇場で映画を観ると、こういうコマーシャルが流れる。

海賊版撲滅キャンペーン

映画が盗まれている
感動も盗まれている。
大切なものが汚されていく。
〜少女の頬を伝う涙が黒く濁っていく〜
テロップ「映画を守りたい。感動を守りたい。」
http://www.jimca.co.jp/



 著作権は正しく守られるべきものだ。海賊版の横行を認めてしまうと、業界全体が痩せ細ってしまう。大筋の主張まったくその通り。面白い映画が作られていくような土壌作りは本当に大切!

 
で、あるのだが、どうもこのコマーシャル、ひっかかる。

 まず始めの違和感は、見せる対象を誤っていること。劇場に足を運んでいる、少なくとも上映作品については海賊版を購入していない人間に、見せてどうする?間違っていない人間にお説教すれば当然ながら反感を買うと思うのだが。また、毒々し過ぎるコマーシャルなので、逆に誘惑の甘さを強調する結果にならないかと心配になる。


 また、僕のような狭量な人間が、それ以上に気に食わないことは、映画業界の問題を観客の問題にすり換えていることだ。「映画が盗まれている」これは正しい。しかし、それ以降は直接、観客には無関係だ。映画→感動と置き換えることはできても、感動→映画とはならない。そして「大切なものが汚されていく」とあるが、この言葉には意図的に主語が欠落しているように思えてならない。観客にとっての大切なものと言わせたいのだろうが、実質、映画業界の虎の子であろう?下手なプロパガンダは興を殺ぐ。誠実さが感じられない言葉に、誰が胸を打たれよう?


 論拠の曖昧さと共に、このCMに感じることは、自身を善悪の彼岸に置いた物の言いようである。確かに海賊版はそれを作る人間と、買う人間の問題といえる。しかし、問題はそれだけなのだろうか?密造者を取り締まり、大衆のモラルを高めることだけで、この問題は解決するのか?いや、それだけでは根本的な解決に行き着かない。海賊版が横行する土壌に全く手を付けていないからだ。そして、その土壌は他ならぬ、映画業界にある。


 映画に対する価格が高すぎるのだ。


 劇場まで足を運んで、一本1800円。これは平均的なバイトの時給みっちり二時間分にあたる。それが映画一本で消費されるのは正直、高過ぎやしないかい?

 そうは思わない?だったら、他の遊びと比較してみたらいい。

 カラオケ、ネットカフェ、漫画喫茶、スーパー銭湯、時間性複合型レジャー施設、どれと比較しても映画は、時間単位の費用対効果が図抜けて低い(単価が高い)。


 また、一本1800円もかかるとなると、軽い遊びとは呼べなくなる。リスクが大き過ぎるのだ。例えば、連れと映画を観に行くとして、三千六百円。それに飲み物、ポップコーン、パンフを含めれば、五千円を超える。消費されるのはたったの二時間。デートに使うにしてもちょっと考えてしまう。

 また、仮に「一人で倹約して観る」と仮定しても、大抵の人間が話題作しか観なくなり、業界が痩せ細ることが考えられる。誰だって割高な買い物には慎重になるもの。失敗したくない。で、あるなら、映画本来の魅力以外に価値がある作品に自然と流れていく。例えば、誰かとの会話に活かせる作品。誰でも知っているスターが出ていて、大掛かりで目を惹き、多額の広告費が使われているもの。付加価値がセーフティネットになるのだから、内容はスカスカで構わない。


 逆説的になるが、僕は本来、映画とは「つまらなくても、いいや」くらいの心持ちで観たとき、一番面白いものだと思っている。余裕なく映画を観ても、楽しいはずが無いからだ。「気を遣い、話題作りも兼ねて」では、映画そのものの魅力を損なってしまう。おみくじを引くような、真剣ながら軽い感覚が大切だ。


 また、大衆に「軽い遊び」と捉えて貰えないことは、映画業界にとってもマイナスである。失敗が許されない。畢竟、様々なセーフティネットに覆われて、作品一つ一つの個性を失う。同じような作品に観客は食傷気味となる。全体の興行収入が落ちる。


 負の連鎖を断ち切る為には、大衆の映画に対する敷居、要するに金額の引き下げが一番効果的であろう。

 それでは全体としての収入が下がる?いやいや、映画業界はたんまりと過分な収益を上げている。

 この長かったデフレの時代、映画料金は一切下がらなかった。のみならず、現在この時に至っても、映画料金は基本的に全国一律である。競争の無い市場が、社会の変容に順応できないのは至極当然のこと。経営規模の小さな劇場を保護する為、最低上映価格を設定するというなら理解もできるが、既得権益を守ることに必死で、商売の基本、顧客に対して誠実であるという姿勢が見えてこない。これでは、収入の減少は相応の定めという他無い。


 確かにいくつかの営業努力の中で、料金の一部を観客に還元しているものもある。夫婦五十割引(どちらかが50歳以上なら、夫婦で2000円)、高校生友情プライスサービス(高校生3名以上で一人1000円均一)等。しかし、これらの還元は新規開拓に限られている。既存の顧客に対しては、既得権益を死守する構えに変わりがない。ロイヤル・ユーザーを蔑ろにし、その利益はまるまる抱え込み、自身が痛みを伴わない部分でのみ譲歩している、に過ぎない。


 そして、価格の信義則を見事に破っている。かたや、よく観に行って1800円。かたや、それほどではなくて1000円。大雑把に捉えてその差、二倍弱。開きがあり過ぎる。しかも、「正規の金額を支払った顧客が、割引の顧客に席を取られ、映画を鑑賞できない」なんてことも起こり得る。別に割引対象者に対し非難を向けている訳では無い。「サービスが不均等であり、経済の合理性から考えても不自然。故に、映画業界に対する不信感おこる。」ということだ。


 興行収入で収支を合わせた映画業界はその後、その作品をDVD化する。黒字を出した作品は更に利益を得る為に、赤字を出した作品は少なくとも収支を合わせる為に。しかし、DVDは作品の本上映より高くなることが当たり前。劇場では1800円でも、新作であれば4000円程度はする高い買い物になる。より失敗はしたくない。間違いなく顧客自身が欲するモノを手に入れる為にはどのようにすれば良いのか?


 それは簡単な話。映画館に行けば良い。もし海賊版に同様の即時性があったとしても、劇場鑑賞料が同等の場合、多分、人は海賊版に流れない。違法行為を超える分のインセンティブが無いからだ。ただし、現状は違う。現状の鑑賞料は明らかに高いのだ。

 仮に、映画代が現在の半分になったと考えてみよう。海賊版は確実にその数を減らす。もし密造者がその流れに踏みとどまり、それより安い価格で商品帯を販売を継続しようと考えても、利益が半分以下になる。そして、そこには脱法するほどの旨みが無い。彼らにとっても、別のインセンティブが存在するのだ。また、料金が下がったら、劇場で映画を観る機会も理論上、2倍。欲するモノと出会う機会も2倍となる。お財布事情を考慮しても、DVDの市場は確実に活性化する。



 質問が一つある。

 もし、あなたに本当に手元に残して置きたい作品があったとしたら、それを海賊版で購入するだろうか?品質も保証されず、不良品が出ても返品ができるかどうかも分からない。人にも大っぴらに貸せない品物を。




 僕なら手に取らない。

 しかし、それでいても、海賊版が生まれる市場の歪みは理解できるのだ。



 果たして、前述したCMを大衆に訴えかけるほど、映画業界は誠実なのだろうか?善意の消費者に海賊版の無い社会を求めるほど、彼らの行いが誠実と呼べるのだろうか?
posted by ねこめ〜わく at 11:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月08日

ミッション;インポッシブル話

ミッション:インポッシブル話

予習(ミッション:インポッシブル1,2の鑑賞)は深夜4時過ぎまで続き、仮眠を取って、朝一番で劇場へ行くことにしました。アクション映画と言えど、とっくに眠っている時間に二本立て続けはきついですね。正直「僕、何やってるだろ?」って疑問も浮かびましたが、基本「考えるな!感じろ!」ですよね。

一作目の監督はブライアン・デ・パルマ。「ヒッチコックの再来」と評されることも多いです。シナリオよりカメラワークに彼の魅力はあります。(逆に言うと、最近の作品「ファム・ファタール」なんか、シナリオはズタズタ。)この映像の面白さはどうにか説明したいですが、ちょっと今の僕には難しいです。僕の一押しは「ファントム・オブ・パラダイス」ですが、映像で言うと、「スカーフェイス」の成り上がるまでの前半部とか、「スネーク・アイズ」の開始早々10分を越える長回しとか、を観てもらえたら、面白さが分かって頂けるものと思います。本作「ミッション:インポッシブル1」で言うと、物語の始まりでイーサン・ハント(トム・クルーズ)が指揮する部隊が壊滅するシーンの長回し、その後ジョン・ヴォイト扮する上司との対話のシーンで挿入される、どちらのものか分からない仮想シーン等、目を瞠る映像が目白押しです。

二作目の監督はジョン・ウー。トレードマークは鳩と二挺拳銃。中学男子が夢想する格好良さを上手に映像化する監督です。冷静に考えると、ちょっぴり幼い空想で、恥ずかしいあたりが、魅力です。いつまでも大人になりきれない男の子の心に響きます。

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2006年07月07日

ミッション:インポッシブル

ミッション:インポッシブル

ストーリー  allcinema引用
東欧で展開されたスパイ組織IMFの作戦は情報漏れのために失敗に終わる。多くの仲間を失ったイーサン・ハントは、これがIMF内の裏切者を見つけ出すための作戦だと言うことを知るが、その疑いは自分にかかっていた。真実を暴くために、死んだリーダー、ジム・フェルプスの妻クレアと連絡を取るイーサン。彼は、元CIAのクリーガーと天才ハッカーのルーサーを新たなメンバーに加え、武器商人マックスから得た情報を元に大胆不敵にもCIA本部への潜入を試みる……。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=50427

明日、「M:I:3」を観に行きます。前作とのつながりはなさそうですが、とりあえず、今から、1,2と観て予習しておきます。
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2006年07月06日

フーリガン

 フーリガン

 ストーリー  goo映画引用

 大学でジャーナリズムを専攻するマットは、ルームメイトに麻薬売買の罪を着せられ、放校処分となってしまう。失意に沈む彼は姉の住むロンドンへと旅立ち、そこで姉の夫スティーヴとその弟・ピートと出会った。ピートはウェストハムの熱狂的なサポーターだ。彼に連れられての初のサッカー観戦で興奮したマットは、その直後、再び初めての興奮と快感を経験する。それはサポーター同士の喧嘩の中で得たものだった。
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD9037/index.html



 青春映画だから、語られるのは勇気、友情。これに勝利が入れば昔の少年漫画なんだけど、そこに入るのは暴力。何せ「フーリガン」だもんね。

 映画を観て思ったのが、暴力シーンの生々しさ。
 「わぁ、痛そう」

 ・・・でも、笑ってるよコイツら。スゲー。


 この映画は青春映画としても観られるのだろうけど、個人的にはフーリガンの生き方が観察できて面白かった。(この映画がどれくらい真に迫ったものかは分からないけど。)以下、気付いたこと。

 試合の展開に関係なく暴動が起こること。負けたとか、ミスジャッジとかに腹を立てて暴れる訳でもなく、相手チームのサポーターを見つけたら、ゴー。

 暴動がお祭りに似ていること。
 ・ 殴りあうのは罵りあった後。まずは、脳内のアドレナリン注入して、痛みを感じなくなるくらい高ぶってから。(祭りをより楽しむ為の下準備、儀式に見える。)
 ・ 度胸試しみたい。(相手が多勢でも逃げちゃ駄目)
 ・ 活躍した奴がヒーローなる。
 ・ ヨソ者排除、帰属意識の高さ。




 マット役にイライジャ・ウッド。ハーバード中退のインテリって設定なのだけど、ずるずると、そっちの世界に吸い寄せられていきます。こういう時、免疫が無い人ほどストンと落ちるものなのでしょうか?

 俳優にとって目が大きいって大きなメリットのような気がします。イライジャ・ウッドの目は相当大きい。「目は口ほどにモノを言う」なんて言葉もありますが、困惑、苛立ち、怒り、決意、等すべての感情が目に映る。この人、日本で言うと藤原竜也に似ています。その目が印象的過ぎて、すべての演技が同じに見えるきらいがあるところも。イライジャ・ウッドは『シン・シティ』にも出ていますが、ここでは目が軽く隠されている感じなので、別人に見えます。役柄、恐ろしいくらい強い猟奇殺人鬼。
posted by ねこめ〜わく at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月04日

ディスタンス

 ディスタンス

 上手く書けず、ネタバレになります。すみません。

 ストーリー ビデオジャケット引用

 山あいの湖に集まった4人。
 彼らは殺人事件の加害者家族だった・・・。

 カルト教団「真理の箱舟」の信者が起こした無差別大量殺人。実行犯は教団の手で殺害され、教祖も自殺した。
――それから3年目の夏。山あいの小さな駅に集まった敦、勝、実、きよかの4人。彼ら〈加害者遺族〉は年に一度、〈家族〉の遺灰が眠る湖に集まるのだ。だが、あるアクシデントから元信者だったという男・坂田とともに、5人は実行犯たちが最後の時間を過ごしたロッジで一夜を過ごすことになる。信者たちの生活の痕跡が残るその空間で、彼らは今まで目を背けていた[記憶]と否応なく向きあう――。

 全編手持ちカメラ、自然光のみによる撮影、そして台詞のほとんどが役者の即興的演技、という新たな演出で人間の心の葛藤を静かに描いたのは、是枝裕和。『幻の光』、『ワンダフルライフ』に続く注目の監督第3作。




 「自然を自然光で撮る。しかも、手持ちカメラで。」と、いうことで、自分がキャンプにでも着たかのように感じられます。実際にきよかが作ったおにぎり美味しそう。正直、食べたい。舞台がヘビーなので、重たい映像を予想しておりましたが、そんなことはありません。どちらかというと、環境映画にでもなりそうなくらい、観ていて心が穏やかになる映像です。(効果をねらった音楽もありません。鳥のさえずり、雨の音。)

 そういった中でふと、亡くなった〈家族〉のことを思い返すから、沁みてくるというか、そういった感じがあります。

 題名であるディスタンスは心の距離を示しています。彼らが眠っている湖には途中で切れた桟橋がかかっており、それがちょうど渡りきってしまった家族と残された家族を示すかのようです。

 いくつかの回想で彼らと遺族の交流が描かれます。近くに居たはずなのに、手繰り寄せることもできなくなった。彼らが理解出来ない。一体どこでボタンを掛け違えたのだろう? 自身の心を掘り返すことで、彼らの残したサインを思い返します。 

 同質の酷い経験を味わった遺族同士でさえ、心に距離があります。
しかし、〈家族〉が旅立ったのは距離が無い世界、理解の彼岸です。


 僕たちに何ができるのか?そういうことを考えさせられる映画です。



 と、ここまで、肯定的な感想。





 不満なことは、実行犯があくまでも彼岸の人として描かれていること。彼らも普段は普通に生活しているはず、どこかが違っているだけで、すべての面でおかしい人じゃない。それでは人物としての深みが無くなってしまう。

 同様のことだが、役者の即興的芝居ということは、役者を選んだ時点で物語の出来が決まってしまうということ。そして、皆が役割を理解して演じていても、その演技に温度差ができるということ。

 また、役の作りこみが、時間としてオファーを受けてから撮影までとなってしまう為、どうしても浅くなってしまう。例えば、光市母子殺人事件の被害者、本村さんの主張の変化を考えてみて欲しい。始めは感情的であったものが、被害者遺族全体の今後を考える哲学にまで行き着く。

 映画の遺族の言い分は3年間苦しんで考えたものとは思えない軽さであった。リサーチの結果できた台本じゃないから、「求めても酷」なのだが、舞台の大きさを思うと、こじんまりした話だなって感じはする。
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2006年07月02日

UFO少年アブドラジャン

 UFO少年アブドラジャン

 ストーリー   DVDジャケット引用

 ウズベキスタンのとあるコルホーズ集会では、モスクワからの重大な電報が読み上げられていた。なんと、未確認飛行物体がこの村にやって来るらしい。村人は大騒ぎ。そしてある夕暮れフラフラと着陸したUFOと、そこから這い出てきた〈完全生命体〉の少年を見つけたのは心優しい農夫・バザルバイだった――。アブドラジャンと名付けられた少年の不思議な力で、畑の野菜は巨大化し、村人は〈空飛ぶクワ〉で飛行を始める始末。だが、彼の存在に軍隊が気付いてしまう・・・!

 


 登場する人物が心優しい人ばかりで、もし仮に、宇宙人が居たとしたら、こんな村に降りてきて欲しいと思ってしまう映画です。

 バザルバイがアブドラジャンに「盗む」という言葉を教えるシーンがあります。(アブドラジャンの世界には「盗み」が存在しないってコトなので、それはそれですごい。)言葉を教える際にバザルバイは硬貨を使うのですが、今度はその硬貨についての説明を求められます。お金が大切なこと、それでバザルバイの生活も成り立っていることを聞いたアブドラジャンは、大きなお金を作り彼に手渡します。文字通り大きなお金です。使えないモノですが、その奇跡にバザルバイは喜びます。今度は手持ちのお札の数を増やしてくれるよう、アブドラジャンに頼みます。

 その後、窯でモジョモジョするアブドラジャン。ザル一杯にお札が出来上がりました。バザルバイ大喜び。札を手に取り確かめます。書いてある文字を読み上げるバザルバイ。

 なになに?
 「政府発行の紙幣を贋造した者は法律で罰せられます」

 その後、燃え盛る窯の前で打ちひしがれる二人。紙幣をくべるバザルバイと、彼にもたれかかるアブドラジャン。



 こういう言葉は嫌いですが、「観たら、優しい気持ちになれる映画」です。



 ウズベキスタンと聞いてパッとイメージが湧く方は少ないと思われます。日本の都道府県の位置さえマトモに覚えていない、僕のような人間にはとっては、その地理さえあやふやなものです。大雑把に言うと、場所はロシアとヨーロッパを繋ぐ中央アジア。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/uzbekistan/index.html
 国民の80%はウズベク人で、主に信仰している宗教はイスラム教スンニ派。主な産業は綿花、天然ガス、石油、金。農業には不向きみたい。

 「地球外生命体」のままでは捕まってしまうので、アブドラジャンはバザルバイの隠し子として生きることとなります。急に降ってきた子供に、周囲の人間は戸惑うかと思われましたが、そうもなりませんでした。他所で子供を作ってくるのも男の甲斐性として捉えられたからです。イスラム社会だから?
とはいうものの、身内に関してはそうも行きません。(奥さんは大怒り。即刻、家族会議。)最後には奥さんも「子供には罪が無い」と許してくれるのですが。


 映画ではとても暖かい村ですが、現在の情勢はまったくもっての安全とは言えないようです。本作を見て旅行に行きたいと思った方、どこに行こうが注意するのが当たり前ではありますが、一応参考までに。

 ウィキペディア「ウズベキスタン」引用

 これらは19世紀に北からのロシア帝国に征服され、ロシア革命後はソビエト連邦下の共和国を経て、1991年のソ連崩壊によって独立し、同時に独立国家共同体に加盟した。独立後、カリモフ大統領が権力を集約し、ほぼ独裁政権となって統治している。
 2005年5月13日に東部アンディジャンで発生した反政府暴動鎮圧事件で市民に多数の死者が出たとの情報があり、ヨーロッパ諸国・国際連合などから「人権侵害」との非難が挙がっている。また、これまで反テロの同盟国として協力関係にあった米国も態度を変化させ民主化要求を行い始めている。一方、カリモフ大統領はイスラム過激派による武力蜂起だとして欧米側による報道を批判し、国際調査団を受け入れる考えのないことを表明している。また、2001年のアフガン侵攻以来、米軍の駐留を受け入れてきたが、2005年にこれを解消し、米軍は撤収することとなった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%BA%E3%83%99%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3


 外務省 海外安全ホームページ
http://www.anzen.mofa.go.jp/info/info4.asp?id=183
四段階評価で数が大きくなった方が深刻。
レベル1、十分注意してください。
レベル2、渡航の是非を検討してください。
レベル3、渡航の延期をおすすめします。
レベル4、退避を勧告します。渡航は延期してください。

posted by ねこめ〜わく at 11:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月01日

真夜中まで

真夜中まで

 ストーリー   ミニパラ「真夜中まで」引用

 PM10:35銀座のライヴハウス<COTTON TAIL>。ジャズトランペッターの守山(真田広之)にとって今夜は特別な夜だった。憧れのG.P.サリバンが12時のステージを聴きに来るのだ。彼の心を掴めば、日本人として初めてNYの彼のバンドに招かれるかもしれない。屋上で練習をしようと急ぐ彼に、店のオーナー(斎藤晴彦)が客に優しくしてくれと忠告する。ついさっき守山は『月の砂漠』をリクエストした女性(大竹しのぶ)を、ジャズではないと冷たくあしらったのだ。同じ頃、隣の立体駐車場では取引を終えたばかりの南部(岸辺一徳)と大場(國村隼)が外国人クラブの会計係、佐久間(春田純一)にゆすられていた。彼は、南部がたった今クラブから受け取った金をホステスの為に使うと言う。「おい、会計係。いつから福利厚生係になったんだよ!」キレた南部が銃を抜き、はずみで大場が佐久間の腹を刺した!倒れる佐久間。彼はこと切れる瞬間、決定的な物証があることを匂わす意味深な言葉を残す…。その模様をクラブのホステス、リンダ(ミッシェル・リー)が見ていた…。
http://www.minipara.com/movies2001-2nd/mayonaka/



 この後、練習を終えてステージに戻る途中の守山は、大場にナイフを突きつけられているリンダと鉢合わせることとなる。

 ミュージシャンの守山が簡単にヒーローになってしまわないところが面白かったです。間が悪く見てはいけないもの見ちゃった。物騒なモン振り回して女を脅している。そいつ等に脅されていた女が自分の影に隠れちゃった。突き出したら悪い夢見そうだし、なんかそれだけで済みそうにも無いし。

 とりあえず、逃げよう。

 助けた女は、訳ありの中国人ホステスだった。警察に預けてステージに帰ろうとするものの、彼女が首を縦に振らない。その間にもさっきのヤバイ二人に見つかり、追い掛け回される。騒ぎを見つけた警官がヤバイのを呼びとめ、職質する。一安心と思ったら、彼らが警察手帳を取り出した。

 ますます、警察に行く訳にもいかず、彼女のペースに巻き込まれる守山であった。果たして、彼女は無事に生き残れるのか?守山はステージに間に合うのか?


 ジャズが好きな人に薦められる映画かもしれません。題名は名曲『ラウンド・ミッドナイト』から取られています。ストーリーの最初にリクエストされる『月の砂漠』は、映画当初の冷たい守山さんに素気無く断られていますが、リー・モーガンの名盤「ザ・ランプ・ローラー」に収録されてもいる、れっきとしたジャズナンバーです。これは最後への伏線となっています。



 また、この映画は「有頂天ホテル」と同じくらい出演者が豪華です。ほとんどの方がカメオ出演ですが、ワンポイントで良い味を出しています。ネット上には、豪華な出演者が生かされていないとお怒りの方もいらっしゃいましたが、ジャケット一面に彼らの顔を並べている訳でもありませんし、見つけられてラッキー!ぐらいに思った方が人生、楽です。

日本映画データベース 「真夜中まで」キャスト
http://www.jmdb.ne.jp/2001/dy002230.htm


 個人的には面白く、手元に置いておきたい作品ですが、雰囲気を大切にした作品なので、理に重きを置く人には不向きな作品かもしれません。

 全編通し男女が逃げるシーンです。走るは「映画の基本」と言われたりしますが、走る間は物語が進展しません。「映画のぶつ切りになっている」と感じる人もいるでしょう。
また「手馴れた上、なりふり構わない汚職警官の追っ手を何度も振り切れるなんてあり得ない。」と合理性の無さを指摘する人もいると思います。

 けれど、この映画は最初の数分で判るはずですが、一種のお伽噺です。だから、指摘魔さんには向きません。どちらかというと、ストーリーが好みかどうかで見る基準にすべきかと。好みの人間にとっては、このように最大限弁護する、と。
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2006年06月29日

リベリオン

 リベリオン  

 せぷさんの勧めで「リベリオン」を観ました。

 ストーリー 公式サイト引用

 21世紀に起きた第三次世界大戦の結果、世界は廃墟と化した。わずかに生き残った人類は、戦争を防ぐために何をすべきかを考えた末、究極の選択をする。それは、残虐性の根絶と感情を抹殺することだった。

 欲望や情熱、怒り、恐怖、希望といったすべての感情を鈍らせることで社会混乱を抑止し、人々の心の平衡を保ち、平和を維持する。そのために、精神に作用するプロジウムと呼ばれる薬を毎日注射することが国民に義務付けられた。また、感情の発露を促すとされる絵画や映画、詩集、音楽は禁じられ、持っているだけで処罰の対象となった。

今日もまた、古い家でモナ・リザを含んだ絵画を護ろうとしていた反乱者が、警察の襲撃を受ける。先頭にたつジョン・プレストン(クリスチャン・ベイル)はクラリック(聖職者)の称号を持ち、しかも銃を用いて狭い空間で行われる武道ガン=カタ〈GUN-KATA〉の達人。殺人マシンとしての畏敬の念を寄せられる存在だった。彼は無法者の群れに単身飛び込んでいく。暗闇でも彼の研ぎ澄まされた感覚は確実に敵の姿を捉え、打ち倒していく。プレストンの活躍で一味は発見された美術品と共に消滅した。副総裁デュポン(アンガス・マクファーデン)も、彼の仕事ぶりを高く評価していた。

仕事を終えたプレストンは、相棒のパートリッジ(ショーン・ビーン)が一冊の詩集を持っていることの気づいた。彼の行動を調べたプレストンは、彼が毎晩のように廃墟へ出かけていくことを知る。違反行為を知ったプレストンは当然のようにパートリッジに銃を向けた。後任には野心家のブラント(デイ・ディッグズ)が配属されることになった。

ブレストンの妻は4年前に感情規制違反で火刑に処されていたため、自宅にはクラリックスに憧れる息子と娘だけがいる。パートリッジのことから妻のことを思い起こしたプレストンは、プロジウムの瓶をうっかり割ってしまい、注射しないまま勤務につく。そのことは、彼の心に感情を少しずつ呼び覚ます。
http://www.amuse-s-e.co.jp/rebellion/




 ストーリーの元ネタが何か分からないくらい、よくある展開だけれど、映画でいうならフランソワ・トリュフォー監督の「華氏451」だと思う。原作はレイ・ブラッドベリの小説『華氏四五一度』。華氏451度というと紙が自然発火する温度で、焚書を意味する。(マイケル・ムーア監督の「華氏911」もここからお題を頂いた。)

 しかし、この映画の中では、禁忌が書物を読むことに止まらず、感情を持つこと全般にわたってしまっているので、厳密に破綻の無い物語を作ることはほぼ不可能といってよい。すでに存在し生死に無関心になれない以上、感情から逃れることはできない。故に、出演者の演技の上での苦労はさぞかし大変なものだろう。

 ・・・と、考えていたら、心が氷であるはずの上司役アンガス・マクファーデン、同僚役デイ・ディッグズ両名が感情出し過ぎ。映画自体は面白いから、少々の破綻は目をつぶるべきなのだろうけど、これには少し萎えました。

 一方、二時間弱の映画の中で、冷徹な殺人マシンから自分の鼻を舐めた子犬を助けるまでに成長するクリスチャン・ベイルはそこらへんがさすがというべきか、最後のあたりまでほとんど表情が覗えない。素晴らしい。(マシニストでもそうだったけど、彼はホントに芸達者です。)もう一人、物語の最初でフェイドアウトするショーン・ビーンの演技も良かった。

 「子犬を救う」ようなベタな展開も目白押しだけれど、この作品一番の魅力はアクションにある。従来のガン・プレイは、悪く言えば、素っ気無いものだった。撃つ、当たる、倒れる。唐突に決着が付く凄みが(映画の中では)銃の怖さであり魅力なのだけれど、クンフー映画の手数の多さ、ワイヤーを使ったアクションシーンの多様性に比べ、明かに映像として間が持たない。持ったとしても静のシーンが長くなる。

 だから、「マトリクス」、「ソードフィッシュ」のようにスローモーションにして、銃弾の軌道を描写しないしたりしないと、肉弾戦が銃撃戦と同じ画面に納め難かった。このスローモーションは当時けっこうセンセーショナルだったようで、その後いくつかの作品でマトリクス海老反り(反りかえって弾を避ける。当然、スローモーション)が再現されている。ただ繰り返される分、劣化が激しく、ここ最近は見受けられない。

 大仰に言うなら、この映画の中の格闘術GUN-KATAは、銃を使ったアクションシーンに新たな可能性を産み出したと云えます。そんでもって、男の子にとって十分に観る価値がある。

 個人的には十分に満足しました。
 紹介して下さったせぷさん、ありがとう。

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2006年06月28日

CMが傑作

 CMが傑作

 映画館に入ると、たいていの場合、始めの15分ほどは宣伝広告、新作映画紹介に割かれます。お客さんは席について間も無く、ガヤガヤ声が聞こえ、ポップコーンを手に取る音、ジュースをすする音がわりと明瞭に聞こえます。そこから、いくつかの食べ物屋の宣伝等が流れ、やがて映画紹介と進むに従って、周りが静かになっていきます。僕はこの瞬間が好きです。映画館にいることを強く実感します。実際観る映画にはなんら影響しませんが、期せずして静かになっていく様が何か非日常に入る儀式のように感じられるからかもしれません。

 少々、大げさに書いてしまいましたが、映画を観る前のウォーミングアップ的な意味合いはあるように思います。コマーシャルの後の映画紹介は映画の見所をゴリゴリと訴えます。訴求力が強そうなキャッチコピー、クライマックス寸前の映像。「こんなの好きな人集まれ!」ってな具合に恣意的なので、実際に映画を観るほど労力を必要とせず、かといってワクワクしないこともない。映画が始まるまでの肩慣らしになっています。

 気を抜いて見ているので、サラッと忘れてしまうものから、ずっと後まで記憶に残ってしまうものまでありますが、ここで得た情報でその後、鑑賞しに行くこともしばしばです。

 ただ僕の場合、その場で軽い印象だったものに、大きな期待をした結果、痛い目をみたこともありまして、その時に得た教訓が一つ提示したいと思います。

 「コマーシャルが優れた凡作に騙されるな。」(敢えて騙されたい人は別)

 映画制作会社とCM製作会社は基本的に別会社なので、実際の映画を観た時、コマーシャルと印象が違っていることはあります。配給会社にとっては観てもらってナンボ。作り手の主張がいかに強いものだろうと、チケットが売れなければ商売上がったりです。前作が不入りだった「キル・ビル vol.2(タランティーノの映画愛ごった煮)」はラブ・ストーリーというラッピングで公開されました。

 また、詰まらない映画ほど、CMに力が入れられるものです。理由が二つ考えられます。一つ、そうしないと興行が立ち行かないから配給会社がCM製作会社に力入れて作らせる。二つ、内容がスッカラカンだからコマーシャルの尺が一番映える。

 二つ目の理由ほど下らなく、自身の不覚を呪い、その後、自身への戒めも含め笑いに換えたく思うものもありません。

 供養の為に二つほど、提供させて頂きます。

「ヴァン・ダム IN コヨーテ」

砂漠の荒れた街。
一軒しかないダイナー。
二つの対立するギャング。
そんな物騒な街なのに、ダイナーで働いているのが不似合いな美人。
やっぱり抗争に巻き込まれる。
そこで真打ち登場。
まるっきり荒野の用心棒。
話に関係なく、飛行機と併走するバイク。
それに乗るヴァン・ダム。
万歳。


「ダニー・ザ・ドッグ」 DVDジャケット引用
首輪をつけられ「闘犬」として育てられたダニー。
彼は金儲けの道具として、戦うことしか知らずに生きてきた。
そんな荒んだ日々の中で、彼は盲目のピアノ調教師、サムと出会う。
音楽、そしてサムと彼の養女ヴィクトリアに触れ、ダニーは初めて、人を愛することを知る。
人生を取り戻すため、愛する人を守るため、ダニーは自ら首輪をはずす・・・!
 
 

 ここまで判りやすい作品には注意が必要です。
posted by ねこめ〜わく at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月27日

男の争い

男の争い

友人Aが映画「スコア」を観て「似たような映画が見たい」と口にしていたので、紹介します。悲しいかな、マイナー作品しか観ていないと思われているらしく、「一般的で手に入るもの!」とクギを刺されてしまいました。


あぁ、今、思い出しました。以前、バーで一人、酒を飲んでいたら、別の友人Bがたまたま女の子連れて入ってきたことを。気まずかったのか、そいつは端っこで飲んでいた僕に彼女を紹介し、僕のことは映画博士のように紹介したのですが、偏った映画好きにとって、(デートのような)一連の流れで観る映画のことは判りません。他にすることが無いから観ているだけで、正直、自分が映画好きかさえ判らないというのに。

したがって、このような状況から早いこと抜け出したいものですが、話を振られてしまっている限り、急に立ち去る訳にもいかず、ずるずると、そして友人が言った映画博士の称号を全うすべく会話に挑むのでありました。

友人の彼女は「恋に落ちたシェークスピア」の話をなさっています。キャスト、あらすじはコマーシャルで見ました。そして、コマーシャルでほとんど説明できる物語でした。しかし、僕にはその良さを語ることができません。展開は予測できても、その魅力に共感できそうも無かったので。(その後、後学の為に拝見しましたが、判らずじまいです。無念。)「イギリス女王役のおばあちゃん、迫力あるねぇ。」とか「グウィネス・パルトローはかわいい」とかくらいしか頭に浮かびません。  

物語の破綻を乗り越えるには大抵の人が持ち合わせているある種のたくましさが必要です。

『多分、人生についてもそれが必要なのだ』とその時、思いました。

その後、話は20世紀フォックスの超大作「タイタニック」に移っていったのですが、ここでも勇退、転戦を余儀なくされました。

『沈み始め、垂直近づく船の中で、より長く水上に居られる為、船尾に集まった人が、重力に我慢できず、手を離すと、回転しながら落下してゆきます。その中で、プロペラに当たった人だけが、物凄い勢いで、逆回転して、落下していくところが、凄く、面白かった。』

なんて口が裂けても言えません。後でBにどのように償えば良いのか考えるだけで・・・いや、単に考えるのがめんどうです。

このような葛藤など、お構い無しにBの彼女のBの友人に気を使ったトークが続いていきました。盛り上がらない話、悪いのは全部、僕です。ごめんなさい。

去り際のBの視線はとても冷たいものでした。『使えない奴め!』彼の目はそう語っていました。僕に何を期待しているのでしょう?

回想終了。

真っ当に生きよう。社会に少しでも打ち解けるんだ!そう考えて今日まで生きてきました。けれども、紹介する映画はやっぱりマイナーな部類に入ってしまうかもしれません。(だってこの作品が一番良いんだもの)



ストーリー    DVDジャケット引用
刑務所から帰ってきたトニーは、ギャングの仲間たちと共に宝石商の金庫破りを計画。入念な準備と作戦によって、ついに強奪は成功するが、それを知った敵対勢力はトニーの可愛がっていた少年を誘拐する。男たちの無慈悲な闘いの行方は――。
 原作はオーギュスト・ブルトンの暗黒小説、『男の争い』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ刊)。
「裸の町」「街の野獣」で都市の生涯を活写したジュールス・ダッシン監督が、<赤狩り>の憂き目にあった後に完成させたフレンチ・ノワールの傑作である。
 30分間、無言のうちに行なわれる、手に汗握る金庫破りのサスペンス、非情の撃ち合いが連鎖するクライマックス……男の人生は厳しい。


 

ついでに「スコア」についてallcinema引用
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=235076
無駄の無い職人監督のサスペンス。地味ですが良い作品です。映画に爆発、ひねた展開、エグイ描写のみを求めてしまう人には不向きかもしれません。プロは危ない橋を渡りません。仕事に対する哲学を持っていて、入念な下準備と綿密な計画を欠かしません。そこいらへんが好きな人好み。
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2006年06月26日

キラーカーズ パリを食べた車

キラーカーズ パリを食べた車

 パリと言えばフランスですが、この作品の舞台はオーストラリア。(そういえば、ヴィム・ヴェンダースの映画で「パリ、テキサス」という佳作がりましたが、これもアメリカ、テキサス州パリ。)

 大まかにストーリー

 オーストラリアの田舎町、パリ。大変のどかに見えるこの町には、恐ろしい秘密があった。町を通る旅行者の車が次々に事故に遭い、彼らの遺留品、車のパーツが町で売り買いされているのだ。主人公のアーサーは兄と職探しの旅の途中で、事故に遭い、パリの病院で目を覚ます。その後、退院した彼は市長の家に居候することになるのだが・・・。


牧歌的なホラーでして、好みの分かれる作品だと思います。村の存在を守る為に行なわれている悪行を、その場に居ながら、力を持たない異邦人の目で捉えているのですが、サスペンスやスリラーというには切迫感が無く、突拍子もないお伽噺、寓話といった感じです。強いてカテゴライズするなら、ブラック・メルヘンかな?

このような作品は好きですが、見た夢の面白さを人に伝えることに似て、説明が難しいです。誰もが主人公を監視していて、村から出さない気持ちを持っており、彼が相談した相手まで殺されてしまうという深刻な状況で、本人も出来る範囲で一生懸命生きているのですが、設定のおさえ方がユルいのです。夢のように、現実感がありません。そこがいいのですが、説明になりません。

ジャケットの表紙になっているカッコいいハリネズミ車は本編の映像でみたら、安っぽいハリボテです。ありえないものを金欠のなか、手間とアイデアで作った感じが良いのですが、これも作品の良さを説明したことはなりませんね。

深夜枠のSFもの低予算映画を観た。それがよく出来ていた。そんな感じです。
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2006年06月25日

THE 有頂天ホテル

 THE 有頂天ホテル


 「THE 有頂天ホテル」ウィキペディア引用
 ストーリー
 恒例のカウントダウンパーティーを2時間後に控えたホテル・アヴァンティ。申し分のない副支配人新堂は、アシスタント・マネージャーの矢部と共に、ホテル内で起る様々なトラブルを無難に解決していった。しかし、パーティーに出演する芸人の所から、腹話術用のアヒル・ダブダブが逃げ出したところから、何か歯車が狂いはじめる。そして突如現れた昔の妻を前に、つい言ってしまった嘘によって、新堂もトラブルに巻き込まれて行くのだった。
 愛人に会いに来た富豪、汚職事件でマスコミから逃げてきた悪徳代議士、逃げたアヒル、ホテル内で迷子になった総支配人、夢破れたベルボーイ、死にたがる大物演歌歌手、複雑に絡み合うトラブルの嵐。
 果たして、無事カウントダウンパーティーは開催できるのだろうか。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/THE_%E6%9C%89%E9%A0%82%E5%A4%A9%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB




 さながら大花火大会のような作品です。

 ストーリーに書かれているキャラクターだけでもずいぶんな数ですが、引用先を見て頂ければ分かるとおり、主要なキャストが2、30を超えます。それも相当、舞台をこなした名優、味のある怪優ぞろいです。これらの俳優が同じ建物の中で、さまざまな化学反応を引き起こします。一人の俳優の行動が、周りにいる複数の俳優に影響します。

 また、この映画の世界では「世間は非常に狭い」ものです。新堂が副支配人を務めるホテルにたまたま訪れる彼の別れた妻。その現在の夫とそのホテルで度々密会していた娼婦。娼婦に勇気付けられる汚職代議士。そのホテルで働く代議士の元恋人。その恋人はというと手違いから大富豪の愛人と勘違いされ、その愛人は・・・、といくつもの話の流れが入り乱れています。

 話が同時進行なので、画面に映っていない間もキャラクターは活動し続けます。ちょうど花咲く前の花火のように、すぅーっと天高く舞い上がり、気付けばあり得ないところで笑いになる。さっき観た映像がどこに繋がるのか?今観ている映像はどこに向かうのか?そのようなある種の期待を持って観てしまう映画です。

 映画館でも面白かったですが、DVDになってももう一度観たい作品です。この映画の監督、三谷幸喜の作品は特典映像も充実しています。キャンバスに描いた大きな絵を、額に収まるよう切り取ったような作風なので、収まりきらなかった部分にもたくさんの面白さが詰まっています。

 この監督が作る「居たたまれない可笑しさの連鎖」はとても好きです。役所広司演じる新堂にいたっては見栄を張って嘘を付いたばかりに、本来なら越えなくてもよい、幾つもの(本人にとっては過酷な)試練を乗り越えるはめになります。・・・こういった経験は多かれ少なかれ誰もが味わったことのあるものでしょう。しかし、その時は全神経を使って取り繕おうとしたことも、時を経ると笑い話なってしまうことが大半です。考えたら不思議ですよね。



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2006年06月24日

ウルトラ・ヴァイオレット

 ウルトラ・ヴァイオレット

 近未来を舞台にしておりますが、このお話の骨格は「抜け忍モノ」です。

 手前味噌ながら「抜け忍モノ」を定義するとしたら、こんな感じになります。
『すねに傷を持つ者がアングラな組織に拾われて頭角を現わすも、真っ当に生きたいと願ったばかりに組織の掟に背いてしまい、組織からも、社会からも追い立てられてしまう。』


 時代劇、劇画ではお馴染みの展開ですが、何度も繰り返されるほど魅力的な型であります。

 自身の尊厳を賭けて決断した動機ほど説得力のある物語要素は少ないでしょう。ましてや、その選択で命が尽きるかもしれないとなれば、尚更のこと。その上、そのことで世界を敵にまわすことになり、かすかな光明さえ見えない、ともなれば応援するのが人の常というものです。燃える展開、嫌いですか?僕は大好きです。

 ただ、これには条件があります。観客が動機を受け入れられなければ成立し難い、ということです。製作者は動機付け関して深い描きこみが必要なります。動機が激安にしか見えなければ、誰も見ないことでしょう。また、要所、要所で作品を締める(主人公の行動を成功させ過ぎない)ことも重要です。仇役がアホ過ぎたら、作り上げた世界観すべてがぶち壊しになりますから。

 しかし、悲しいかな、きっちりした型を利用した物語ほど、手を抜いても、そこそこどうにかなるものなので、大抵の作品はこの手間や工夫が惜しまれてしまいます。

 本作もどちらかというと、描きこみが薄い作品で、そこのところがすこし残念であります。

 監督はカート・ウィマー。銃(ガン)での戦闘に武術の型(カタ)を取り入れた「ガン=カタ」というアクションを考案した方の作品なので、ストーリーに頓着するより、アクションの見得を楽しむ映画です。

 僕はイマイチ殺陣の良し悪しがよく分からない為、このアクションについてはコメントを差し控えさせて頂きます。(たとえば、北村龍平さんの作品で描かれるアクションは広く受け入れられているのでしょうか?)

 個人的にはミラ・ジョヴォヴィッチの勇姿を見られただけで満足です。以前、本作と同じようなキャラを演じたバイオ・ハザード2を観たのですが、そのDVDの特典映像には、役が乗り移ったままの状態でインタビューに答える彼女の姿が納められていました。その他の映画に使わないシーンでもまさにハイパー状態で、共演者が少し距離を取っています。誰も手が付けられません。

 役者さんの中には、撮影中は完全にそのキャラに成りきってしまうタイプの方がいらっしゃるのですが、彼女はまさにこのタイプ。毛色は違いますが「スクール・オブ・ロック」に出ていたジャック・ブラックもこのタイプです。成りきれる強さに脱帽です。
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2006年06月22日

大誘拐

 大誘拐   DVDあり

 最近、岡本喜八監督の「大誘拐」を見ました。

「大誘拐」ウィキペディア引用
あらすじ  
大阪刑務所を出所した戸並健次は、社会復帰費用を得るために誘拐を計画し、友人の秋葉正義と三宅平太を誘う。 誘拐するなんて人間のやることじゃないとしぶる二人だが、大金持ちのおばあちゃんから少し恵んでもらうだけだと言いくるめられる。 やっとのことでおばあちゃんの誘拐に成功した三人だが、身代金のあまりの少なさにおばあちゃんを怒らせてしまう。 さらに、自分たちの計画の穴を的確に指摘されてぐだぐたになってしまう三人。いつのまにか主導権はおばあちゃんに移っていた。 ここに三人を巻き込んだ、おばあちゃんと井狩警部との頭脳戦が始まる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%AA%98%E6%8B%90


 根っからの悪人が出てこない誘拐事件というのも斬新ですが、被害者が誘拐犯を指示するというのも、なかなか無いストーリーです。

 誘拐犯自体が「誘拐するなんて人間のやることじゃない。」と口にするなんてありえません。思わず笑ってしまいました。

 また、誘拐される人物が海千山千の山林王でありながら、見た目ははんなりしたおばあちゃん(北林 谷栄)ってギャップもくるものがあります。

 親族、警察、テレビ局、事件に関わる人すべてがおばあちゃんに世話になったことのある人間で、おばあちゃんの為に必死に頑張るのですが、その中心にありながらちょうど台風の目のように、穏やかで飄々としているおばあちゃんに惚れます。


 ここ最近、高齢化、高齢化と言われますが、ネガティブな側面がばかり取り沙汰され、ポジティブな側面にはあまり触れられていないように感じます。しかし、身の周りを見渡してみると、老人と呼ぶに憚られる方がいっぱいです。北林 谷栄さんのような方が新しいタイプのアイドルになっていける映画界であって欲しいと思います。夫婦50割引を実施しているなら、もっとこういう映画も作って!




・・・搾取され続けている人間の為に映画基地割引作って!



 若い頃、若かった女性にとってのアイドルになりえるか?一徳さんの演じる陰とは対照的な陽。 いつかは僕もこうなりたいものです。
 KINCHO CM情報「ふらふら」
 http://www.kincho.co.jp/cm/radio_drama/furafura.html

 



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2006年06月21日

キング・コング

 もはやストーリーを書く必要がないくらい良く知られた物語です。もし知らない人が居てもそれは幸いなこと。より多く映画を楽しむことができます。

 本作は三時間の超大作でありながら、中だるみは一切ありません。物語の最初の三分の一は舞台背景と登場人物の描写、次の三分の一は島での騒動、最後の三分の一はニューヨークに戻ってから、とタイトに区切られています。
 
 ストーリーはシンプルですが、その世界は広大です。本来なら説明に骨が折れるところですが、本作はナレーションや解説用登場人物(ex.テリーマンとか雷電とか)の解説に頼らず、丁寧な映像によって映画の世界を表しています。ピーター・ジャクソン監督はすごい。

 すべてが映像化されているので、どのシーンも気を抜かず観て下さい。無駄な描写はありません。といっても、観始めたら食い入ること間違い無しなので、労力は要りません。

 本作の一番の特徴は怪獣映画でありながら、その怪獣の表情がとても豊かなことです。技術的な側面もあったのでしょうが、今まで、これほどまでに生き生きとした表情の怪獣はいませんでした。怒り、喜び、憂い、テレ、様々な表情が見て取れます。中盤頃にはコングの顔が男前に見えてくるのだから、大したものです。

 
 この映画は「首が回らなくなった映画監督が、周りを騙くらかして未開の島に渡るところ」から始まるのですが、映画関係者には山師が多く、全くのフィクションと斬って捨てられない感じがあります。

 映画には見世物としての側面が純然とあります。「惑星ソラリス」では何気ないシーンで映るロケットの打ち上げがマジモンだったり、「フィッツカラルド」では豪華な船が山を越える映像が収められていたり、と。

 そのような一見、そろばんの合わない企画も映画化される上、そこに成り上がりを夢見る人間も加わるものだから、山師がいて当然なのです。

 「この一本で会社が潰れた」って映画の特集もいつか書いてみたいですが、それはまた今度。
 
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2006年06月20日

ナイト・ウォッチ

 ナイト・ウォッチ NOCHNOI DOZOR

 同名の映画があるのですが、ユアン・マクレガーが出ているスリラーではありません。

 ロシア産SFファンタジー映画です。

 長編小説の映画化、その上カテゴリがファンタジーなので世界観、ルールの説明がかなり必要になってくるはずですが、それが十分でない為、消化不良になる人が多い映画だと思います。以下の引用は公式サイトのストーリーを書き出したものです。ここを読んでおけば、映画を観た際、意味不明にならずに済みます。ただ、丁寧に書かれている為、大いにネタバレです。

 個人的に本作の面白さは「限られた予算の中で作られたSF的映像にある」と考えています。予算が大きいハリウッド映画なら、どのような異空間であれ、すべて自然な映像にできるでしょう。例えば、ハリウッドの大道具さん対ヴァンパイア兵器を作るとしたら、見栄えの良い立派なモノになるはずです。しかし、こちらはお金が無い。だから、アイデアで勝負です。何の変哲もないハンドライトに「特別な豆球」を仕込みます。これは強力な武器なのです。日常から派生するファンタジーは観客の信じる力がすべてです。

 また、光の王も闇の将軍も零細企業の社長のようによく働きます。単に出たがりなだけかもしれませんが、双方が闇と光の監視人となり千年もの間、第一線で仕事をしていたなんて、涙ぐましいじゃありませんか?組織が大きかろうが、歴史があろうが、現場第一主義!胸を打ちますね。僕がどちらかの頭なら真っ先に相手の頭を撃ちますが、そんな無粋な輩はこの世界には居ないのです。

 公式サイトのストーリーには内容がすべて書いてあります。意図してか?しないでか?は解りませんが、ストーリーのラスト数行の三つの謎まで解けてしまう徹底ぶりなので、ネタバレOKな映画なのだと思います。

 簡単すぎるかもしれないですが、推理として読んでみるのも一興かと。
ラスト数行の謎。
1、 闇の勢力はなぜイゴールを執拗に狙うのか?
2、 そして『偉大なる異種』の正体は?
3、 秘密がひとつになる時、アントンとイゴールの衝撃の事実が明かになる……。

ストーリー  公開映画サイト引用 

人間でありながら、特殊な超能力を持つ『異端』と呼ばれる種族。世界はかつて、光と闇、彼ら両軍の間で激しい戦争が続いており、破滅の危機にあった。だが、戦いの無益さに気付いた光の王ゲッサー(ウラジミール・メニショフ)と闇の将軍ザウロン(ヴィクトル・ヴェルズビツキー)は、休戦協定を結ぶ。それ以来、異端に目覚めた人間は、光につくか闇につくかを本人が決めることに。そして光の戦士は『ナイト・ウォッチ(闇の監視人)』として、闇の異種の行動を監視。闇の戦士は『デイ・ウォッチ(光の監視人)』として、光の異種を監視。こうして光と闇の勢力のバランスは、何世紀もの間、平和に保たれていた。

 現在のモスクワ。1992年。青年アントン・ゴロデツキー(コンスタンチン・ハベンスキー)は、結婚したばかりの妻イリーナ(マリア・ミロノーワ)に別の男と逃げられ、絶望しながらシュルツ夫人宅を訪問。呪術使いの夫人は、妻を取り戻すためには、彼女が身篭もっている胎児を流産させるしかないと言う。だがその恐ろしい呪いの儀式を実行する途中で、光と闇の協定違反(暗殺の共謀)により、夫人は逮捕されてしまった。

 12年後。実は予知能力を持つ異種であったアントンは、光の側に属し、ナイト・ウォッチのメンバーとして活動していた。地下鉄に入った彼は、ひとりの少年(イゴール)を狙う闇の異種、ヴァンパイアのアンドレイ(イリア・ラグテンコ)と恋人の女ヴァンパイアを追う。やがてアンドレイを殺害し、瀕死の重傷を負ったアントンは、仲間によりナイト・ウォッチのアジトである『光公社』に運ばれた。

 リーダーのゲッサーの手術を受けつつ、地下鉄で見た、頭上に空気の渦が巻いていたメガネをかけた女について語るアントン。ゲッサーは、書物に書かれた『ビザンチウム伝説』について説明する。その中に登場する
が、おそらくメガネの女の正体であると。彼女の名はスヴェトラーナ・ナザロワ(マリア・ポロシナ)、29歳。伝説によれば、彼女が世に現われた時、光と闇の最終戦争の前兆になるという。光と闇のバランスが崩れた時、『偉大なる異種』が出現する。

 一方、デイ・ウォッチのリーダーであるザウロンは、普段は歌姫として人気を博すメンバー、アリス(ジャンナ・フリスケ)に、アンドレイ殺しの犯人を探すように命令。結局、アンドレイの恋人だった女ヴァンパイアに、犯人を捜索させることにする。

 かくして彼らの標的となったアントンに、ゲッサーは助け役として、なぜか一羽のフクロウを授けた。するとその鳥は、人間の女性の姿に……。変身能力を持つナイト・ウォッチのメンバーの魔女、オリガ(ガリーナ・チューニナ)だったのだ。

 まもなく、モスクワに異常気象が起きる。トルネードと呼ばれる強力な竜巻が接近する中、闇の異種たちは、地下鉄にいた12歳の少年イゴール(ディマ・マルティノフ)を追かけている。アントンとオリガは、少年を助けるため接触する。闇の勢力はなぜイゴールを執拗に狙うのか?そして『偉大なる異種』の正体は?秘密がひとつになる時、アントンとイゴールの衝撃の事実が明かになる……。

 
 青文字は書いていない補足。


 それでも解らないところ。
1、*光と闇の協定の内容…ほとんど語られない。それなのに事の後にぶつ切りで述べられる。まるっきり、後だしジャンケン。
2、光と闇の間で大多数の普通の人間の立ち位置が不明。光の戦士はなぜ人間を守るか?意味が解らない。
3、映画で語られる光と闇の協定の一つに「双方の合意無しに種族を増やしてはならない」というルールがあるのだが、ヴァンパイアのアンドレイが恋人をヴァンパイアにしている。
4、というかヴァンパイアは存在そのものが、協定違反では?
5、映画の中で、魔女、魔法使いは災厄をもたらすものとして光の戦士の捕縛の対象のはず、ですが光の側につくオリガが魔女。後々説明されるかもしれないけど。
6、『災いを招く乙女』にまつわるルールが描かれていないので、展開が納得できない。ここでも後だしジャンケン。
色々ありすぎるが、とりあえず、これくらい、と。

 でも、この作品の有り余る愛、好きです。


 公式サイトではこのような宣伝文句が書かれています。
製作費400万ドルで国内興行収入1600万ドル。
ロシア国内では『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』を超えた。
自国の映画が200万ドル以上の興行収入を売り上げたことが無かった。

 200万ドル以上の興行収入が難しい中、400万ドルを注ぎ込む、というのは相当な博打です。原作に対する期待の高さもあるでしょうが、多分、以前より海外からのスポンサーが入って来ているのでしょう。

 「ナイト・ウォッチ」の400万ドルって制作費はロシアでは法外な金額ですが、日本円にすると(1ドル115円として)約4億6千万円。ハリウッド超大作が100億円規模で作られることから考えれば、20分の1以下です。万一こけてもリスクは格段に少ないはずです。

 世界展開することを考えれば、十分に元が取れるのかもしれません。そういえば、最近、ロシア産ハリウッド映画が日本で公開されていました。たしか、「大統領のカウントダウン」って題でした。



 最後に、気になったので日本とロシアの比較。日本の歴代興行収入。

 日本とロシアの人口、GDPについて
日本  人口1億2千万
ロシア 人口1億4千万。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E9%A0%86%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88

日本  GDP 4,799,061 (100万US$)
ロシア GDP 755,437 (100万US$)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9B%BD%E5%86%85%E7%B7%8F%E7%94%9F%E7%94%A3%E9%A0%86%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88#.E5.90.8D.E7.9B.AEGDP

 日本国内の興行収入、千と千尋が300億。タイタニック260億。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E4%BB%A3%E6%98%A0%E7%94%BB%E8%88%88%E8%A1%8C%E6%88%90%E7%B8%BE
posted by ねこめ〜わく at 22:49| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブレイキング・ニュース

ブレイキング・ニュース

ストーリー  公開映画サイト 
ある朝、香港の市街地で銀行強盗団と彼らのアジトを見つけた警察との銃撃戦が発生。激しい攻防戦が続くなか犯人に銃を向けられた一人の警官が両手を挙げて命乞いをしてしまう。偶然にも、その瞬間を現場に居合わせたTVカメラマンが捉えていた。さらに、CID(重犯罪特捜班)のチョン警部補(ニック・チョン)やホイ(ホイ・シウホン)は、ユアン(リッチー・レン)率いる(中国)本土からやってきた犯人グループを捕り逃がしてしまう……。
 さまざまなメディアを通じ、香港警察に対する非難が集中。一気に失った市民の信頼を取り戻すため、副総監のウォン(サイモン・ヤム)はOCTB(組織犯罪課)の新任指揮官レベッカ(ケリー・チャン)が発案した大胆なメディア戦略を採用。それはPTU(機動部隊)にワイヤレス・カメラを装備し、“犯人逮捕の瞬間という最高のショー”をTV中継するというものだった。一方、高層アパートに潜伏したユアンを追いつめたチョンやホイらは迷路のように入り組んだ内部に潜入。逮捕劇の演出家となった司令官レベッカの命令を無視し、逮捕のタイミングを待ち構える。
 一方、ユアンらは2人の子供とともにアパートから逃げ遅れたタクシー運転手のイップ(ラム・シュー)の家に篭城。そこにはある男を暗殺する任務を背負った、本土からやってきた殺し屋のチュン(ユウ・ヨン)も潜伏していた。(〜中略〜)やがて人質解放のタイミングを機に彼らとPTUとの壮絶な戦いが始まる。銃弾や手榴弾が飛び交うなか、600万人の香港市民が見守るブレイキング・ニュースの  は、果たしてどうなるのか?
http://www.breakingnews.jp/





 監督ジョニー・トーはカメレオンごとき職人監督で、本作のようなガンアクションもとれば、コメディ、ロマンス、はたまた「マッスル・モンク」のような映画まで撮ってしまう異能の人です。

 ジャケットにやられてしまい未だ観ていない「マッスル・モンク」
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/vlimgdata/4529264111803.jpg


 僕はまだ彼のガン・アクションしか観たことがないのですが、ことその分野に関して言えば、彼の作品は最高に出来が良い。彼の作品「ザ・ミッション 〜非情の掟〜」と「PTU」はその手の映画好きなら間違いなく買いです。

 上記の二作ほどではありませんが、本作もノワールな雰囲気が良く出ている快作です。

 オープニングとクライマックスの長回しには痺れます。

 強盗のユアン、殺し屋のチュン。二人のアウトローが魅力的に描かれています。その後、共闘することになった二人が昼食を作るシーンがあるのですが、このシーンがすごくいい。出方を間違ったら殺し合う可能性があったのに、そうとは思えないくらい楽しそうで。

 逆に、それを追う警察側は作中での印象が薄く、もったいなく思えました。主要なキャラクターであるチョン警部補至っては「絶対に弾が当たらない部類の利かん坊」で、シリアスな物語を壊しています。

 犯人を完全に包囲して、警察側が圧倒的優位であるのだから、もっと無機質に、無慈悲に描いた方が迫力があっただろう、思いました。


 作中のアウトローはともに中国からの不法入国犯罪者です。気になったので、雑誌のインタビューを読み返してみました。理由はリアリティを求めた結果だそうです。ジョニー・トー監督はこのことについてこう述べています。

『(中国)大陸からの犯罪者(省港旗兵)を取り上げたことに関しては、ここ20年間に香港で起こっている手榴弾や機関銃を使った殺人や凶悪事件は、ほとんどが大陸人の犯罪という事実からだ。』


 一つの国になった今も香港と中国では経済力、社会制度に違いがあります。そのような歪みが犯罪の温床なので、本土が香港と同程度の豊かさ、環境に達するまで、この手の犯罪は無くならないことと思います。
posted by ねこめ〜わく at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月18日

階段通りの人々

 階段通りの人々

 舞台は階段通りと呼ばれる貧民街。盲目の老人が持つ恵みの箱を巡って話は展開する。そこに住むものにとって恵みの箱は存外に羨ましいもので、たまたま降ってきた打出の小槌。「何故、私の手元に無いものか?」働かない老婆や赤子に疲れた女は老人を嘲り、チンピラは老人をからかう。洗濯を仕事にする老人の娘は、疲れから絶えずイライラしており、恵みの箱を当てにしている娘婿は、盗まれないようにナイフを持ち歩く。



 書き出してみると、底抜けに救い難い状況ですが、日常として描かれており、負の価値判断は含まれておりません。逆に、そのような環境に生きる人たちの力強さが伝わってくる作品です。

 監督はマリエル・デ・オリヴェイラ。齢九十を超える高齢でありがなら、年一本のペースで映画を撮り続けている巨匠です。

 作中、画面一杯に登場人物が現れた状態で展開するシーンがあるのですが、芝居みたいで、分かり易いハリウッド映画を見慣れている為、すこし戸惑いました。
posted by ねこめ〜わく at 16:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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