2006年07月01日

真夜中まで

真夜中まで

 ストーリー   ミニパラ「真夜中まで」引用

 PM10:35銀座のライヴハウス<COTTON TAIL>。ジャズトランペッターの守山(真田広之)にとって今夜は特別な夜だった。憧れのG.P.サリバンが12時のステージを聴きに来るのだ。彼の心を掴めば、日本人として初めてNYの彼のバンドに招かれるかもしれない。屋上で練習をしようと急ぐ彼に、店のオーナー(斎藤晴彦)が客に優しくしてくれと忠告する。ついさっき守山は『月の砂漠』をリクエストした女性(大竹しのぶ)を、ジャズではないと冷たくあしらったのだ。同じ頃、隣の立体駐車場では取引を終えたばかりの南部(岸辺一徳)と大場(國村隼)が外国人クラブの会計係、佐久間(春田純一)にゆすられていた。彼は、南部がたった今クラブから受け取った金をホステスの為に使うと言う。「おい、会計係。いつから福利厚生係になったんだよ!」キレた南部が銃を抜き、はずみで大場が佐久間の腹を刺した!倒れる佐久間。彼はこと切れる瞬間、決定的な物証があることを匂わす意味深な言葉を残す…。その模様をクラブのホステス、リンダ(ミッシェル・リー)が見ていた…。
http://www.minipara.com/movies2001-2nd/mayonaka/



 この後、練習を終えてステージに戻る途中の守山は、大場にナイフを突きつけられているリンダと鉢合わせることとなる。

 ミュージシャンの守山が簡単にヒーローになってしまわないところが面白かったです。間が悪く見てはいけないもの見ちゃった。物騒なモン振り回して女を脅している。そいつ等に脅されていた女が自分の影に隠れちゃった。突き出したら悪い夢見そうだし、なんかそれだけで済みそうにも無いし。

 とりあえず、逃げよう。

 助けた女は、訳ありの中国人ホステスだった。警察に預けてステージに帰ろうとするものの、彼女が首を縦に振らない。その間にもさっきのヤバイ二人に見つかり、追い掛け回される。騒ぎを見つけた警官がヤバイのを呼びとめ、職質する。一安心と思ったら、彼らが警察手帳を取り出した。

 ますます、警察に行く訳にもいかず、彼女のペースに巻き込まれる守山であった。果たして、彼女は無事に生き残れるのか?守山はステージに間に合うのか?


 ジャズが好きな人に薦められる映画かもしれません。題名は名曲『ラウンド・ミッドナイト』から取られています。ストーリーの最初にリクエストされる『月の砂漠』は、映画当初の冷たい守山さんに素気無く断られていますが、リー・モーガンの名盤「ザ・ランプ・ローラー」に収録されてもいる、れっきとしたジャズナンバーです。これは最後への伏線となっています。



 また、この映画は「有頂天ホテル」と同じくらい出演者が豪華です。ほとんどの方がカメオ出演ですが、ワンポイントで良い味を出しています。ネット上には、豪華な出演者が生かされていないとお怒りの方もいらっしゃいましたが、ジャケット一面に彼らの顔を並べている訳でもありませんし、見つけられてラッキー!ぐらいに思った方が人生、楽です。

日本映画データベース 「真夜中まで」キャスト
http://www.jmdb.ne.jp/2001/dy002230.htm


 個人的には面白く、手元に置いておきたい作品ですが、雰囲気を大切にした作品なので、理に重きを置く人には不向きな作品かもしれません。

 全編通し男女が逃げるシーンです。走るは「映画の基本」と言われたりしますが、走る間は物語が進展しません。「映画のぶつ切りになっている」と感じる人もいるでしょう。
また「手馴れた上、なりふり構わない汚職警官の追っ手を何度も振り切れるなんてあり得ない。」と合理性の無さを指摘する人もいると思います。

 けれど、この映画は最初の数分で判るはずですが、一種のお伽噺です。だから、指摘魔さんには向きません。どちらかというと、ストーリーが好みかどうかで見る基準にすべきかと。好みの人間にとっては、このように最大限弁護する、と。
posted by ねこめ〜わく at 16:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月30日

拭えない脳内価格

 拭えない脳内価格

 最近、ウチの近所に美味しい中華料理屋が出来た。オープニング期間中、持ち帰り用の点心を3割引で販売していた。味は格別、価格は庶民的とあって、十人前、二十人前注文していく客も珍しくなかった。かく云う僕も大量に買い込んだ一人で、冷凍庫を点心で埋め尽くし、家族から生暖かい目で見られた。

 「父さん、あそこに点心を主食にする珍しい生き物がいるよ。」

 結局、おまいらも食べるくせに、くせに、くせに。
「檻の中からアンタらを笑ってやるぜ」ってちょっと思った。

 怖いから口に出さなかったけどさ。


 二週間後、点心の特別価格は通常に戻り、以前ほどの活況は無くなった。またいつかセールが始まったら、再び買い込もうと決意していた珍獣はその後、中華料理屋に行くことが無かった。今の今まで。

 二ヶ月ほどたった頃、点心の特別価格がまた戻ってきた。ウキウキ気分でレジ脇に置かれているクーラーから点心を抱え込み、精算を済ませる。が、一つ疑問が浮かんだ。セールの終了日はいつなのだろうか?店主に尋ねてみた。
「今度のセールはいつまでですか?」
「まだ、決まっていないんです。」
 店主の表情は硬い。

 気の毒になったので、点心を預かってもらい、定食を食べることにした。



 以前、某巨大ハンバーガーチェーンが一個60円辺りでハンバーガーを売り出したことがあった。売上は伸びたけど、無理が祟って、値段は逆戻り。残されたのは、コスト削減の為行われた製造時間の短縮、工程の見直し、焼きの入っていないバンズにパティ、そしてそれを食べた客の記憶。つい最近、食べたモーニングのベーコンもべちゃべちゃだった。多分、一括で蒸しちゃったんだろうな。いまだ改善はなされていない。高くて一個200円程度に目くじら立てる客は少ないだろうけど、その程度のモノと認識されては、波が引くように売上が落ちる。トップ企業がぶち壊す業界のイメージ。悲しい話だ。

 ごめんなさい。少し感傷的になってしまいました。

 けれど、変化する物事の中で、変わらないものもある。例えば前段で書いたハンバーガーの価格に対する記憶。それはある時60円でペイしたモノであり、多分、現在も原価がそれを割り込まない。そんなことが頭に刷り込まれた。

 価格とは需要と供給で成立するものだが、他方、購買者と販売者の信義則でもある。購入者が商品の製造ノウハウについて知っていることは少ない。仮に知っていたとしても、一から作り出すほどの知識、コネクションはまず無い。だから、商品の価格に対する各費用の内訳についても、よっぽどその業界で勉強しない限り、知りうることができない。つまり、コストについては販売者に下駄を預けている状態である。

 当然、商品がバランスを崩した高値に設定された場合、購入されないのであるが、同類の商品が無かった、もしくは同様の金額帯に設定されていた場合、消費者は疑う余地も無くその商品を手に取る。信ずる他無い。そして、信じている。

 何故、信じていると確信するのか?それは確たる価格帯が存在しないモノにまで、言い値が存在し、それが揺るがないことに由来する。最近は揺らぎつつあるが、冠婚葬祭を考えてみればよい。葬儀にかかる費用は膨大過ぎないかい?一度買えば使い回しの利く葬式セット、人件費としては高すぎる読経代、ぐるりを取り囲む菊の花、一台1万円。宗教観さえ蚊帳の外においてしまえば、こう口にすることだろう。

 ふざけている。

 これが文化に根ざさないものであっても、結果は同じ。うどんに較べて、何故にパスタは値が張るの?お好み焼きに較べてピザはどうして?もとは同じ粉モンじゃない?(こういう歪みはゆっくりと是正されるものだから、10年前に較べたら随分マシなのだけれど)

 結局のところ、現在あるモノの価格は多くの人々に支持され存在している。つまり、みんなが信じている。

 逆のことを考えてみる。仮に、この価格を、販売者が自身の都合に合わせて、次々と変えていったとしたらどうなるだろう?これも始めに例えで使ったハンバーガーチェーンが実践している。

 答え・・・適正価格があるのに、誰も信じない。


 価格は信義則である。だからこそ、価格設定は慎重に行なわれなくてはならない。モノが売れない時代だからこそ、価格が持つ信義は重たさを増す。価格のみによる競争はいずれ、自らの首を絞める。そして、大抵の人間が思いつく戦略は、その状況で一番有利な者によって既に実践されているのだ。勝ち目が無い。

 もし価格で勝負するのであれば、直接、価格化しないことが重要であろう。セットによるオマケ(ペットボトルについてくるフィギュア)、増量(ex五個買ったら一つタダで付いてくる)、スタンプによるインセンティブ等、数値化しにくいところで、恩に着せないと、後々ツライことになる。


 DVD690円。価格だけみたら非常に嬉しいことなのだけど、これが足枷となるたくさんの事象のことを考えてみると、素直に喜べない。本日見た映画が、要は本上映で経費を回収できなかった、(お上品に云って)ウンチであったことから、長々と恨み言を書いてみた。
posted by ねこめ〜わく at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月29日

リベリオン

 リベリオン  

 せぷさんの勧めで「リベリオン」を観ました。

 ストーリー 公式サイト引用

 21世紀に起きた第三次世界大戦の結果、世界は廃墟と化した。わずかに生き残った人類は、戦争を防ぐために何をすべきかを考えた末、究極の選択をする。それは、残虐性の根絶と感情を抹殺することだった。

 欲望や情熱、怒り、恐怖、希望といったすべての感情を鈍らせることで社会混乱を抑止し、人々の心の平衡を保ち、平和を維持する。そのために、精神に作用するプロジウムと呼ばれる薬を毎日注射することが国民に義務付けられた。また、感情の発露を促すとされる絵画や映画、詩集、音楽は禁じられ、持っているだけで処罰の対象となった。

今日もまた、古い家でモナ・リザを含んだ絵画を護ろうとしていた反乱者が、警察の襲撃を受ける。先頭にたつジョン・プレストン(クリスチャン・ベイル)はクラリック(聖職者)の称号を持ち、しかも銃を用いて狭い空間で行われる武道ガン=カタ〈GUN-KATA〉の達人。殺人マシンとしての畏敬の念を寄せられる存在だった。彼は無法者の群れに単身飛び込んでいく。暗闇でも彼の研ぎ澄まされた感覚は確実に敵の姿を捉え、打ち倒していく。プレストンの活躍で一味は発見された美術品と共に消滅した。副総裁デュポン(アンガス・マクファーデン)も、彼の仕事ぶりを高く評価していた。

仕事を終えたプレストンは、相棒のパートリッジ(ショーン・ビーン)が一冊の詩集を持っていることの気づいた。彼の行動を調べたプレストンは、彼が毎晩のように廃墟へ出かけていくことを知る。違反行為を知ったプレストンは当然のようにパートリッジに銃を向けた。後任には野心家のブラント(デイ・ディッグズ)が配属されることになった。

ブレストンの妻は4年前に感情規制違反で火刑に処されていたため、自宅にはクラリックスに憧れる息子と娘だけがいる。パートリッジのことから妻のことを思い起こしたプレストンは、プロジウムの瓶をうっかり割ってしまい、注射しないまま勤務につく。そのことは、彼の心に感情を少しずつ呼び覚ます。
http://www.amuse-s-e.co.jp/rebellion/




 ストーリーの元ネタが何か分からないくらい、よくある展開だけれど、映画でいうならフランソワ・トリュフォー監督の「華氏451」だと思う。原作はレイ・ブラッドベリの小説『華氏四五一度』。華氏451度というと紙が自然発火する温度で、焚書を意味する。(マイケル・ムーア監督の「華氏911」もここからお題を頂いた。)

 しかし、この映画の中では、禁忌が書物を読むことに止まらず、感情を持つこと全般にわたってしまっているので、厳密に破綻の無い物語を作ることはほぼ不可能といってよい。すでに存在し生死に無関心になれない以上、感情から逃れることはできない。故に、出演者の演技の上での苦労はさぞかし大変なものだろう。

 ・・・と、考えていたら、心が氷であるはずの上司役アンガス・マクファーデン、同僚役デイ・ディッグズ両名が感情出し過ぎ。映画自体は面白いから、少々の破綻は目をつぶるべきなのだろうけど、これには少し萎えました。

 一方、二時間弱の映画の中で、冷徹な殺人マシンから自分の鼻を舐めた子犬を助けるまでに成長するクリスチャン・ベイルはそこらへんがさすがというべきか、最後のあたりまでほとんど表情が覗えない。素晴らしい。(マシニストでもそうだったけど、彼はホントに芸達者です。)もう一人、物語の最初でフェイドアウトするショーン・ビーンの演技も良かった。

 「子犬を救う」ようなベタな展開も目白押しだけれど、この作品一番の魅力はアクションにある。従来のガン・プレイは、悪く言えば、素っ気無いものだった。撃つ、当たる、倒れる。唐突に決着が付く凄みが(映画の中では)銃の怖さであり魅力なのだけれど、クンフー映画の手数の多さ、ワイヤーを使ったアクションシーンの多様性に比べ、明かに映像として間が持たない。持ったとしても静のシーンが長くなる。

 だから、「マトリクス」、「ソードフィッシュ」のようにスローモーションにして、銃弾の軌道を描写しないしたりしないと、肉弾戦が銃撃戦と同じ画面に納め難かった。このスローモーションは当時けっこうセンセーショナルだったようで、その後いくつかの作品でマトリクス海老反り(反りかえって弾を避ける。当然、スローモーション)が再現されている。ただ繰り返される分、劣化が激しく、ここ最近は見受けられない。

 大仰に言うなら、この映画の中の格闘術GUN-KATAは、銃を使ったアクションシーンに新たな可能性を産み出したと云えます。そんでもって、男の子にとって十分に観る価値がある。

 個人的には十分に満足しました。
 紹介して下さったせぷさん、ありがとう。

posted by ねこめ〜わく at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月28日

CMが傑作

 CMが傑作

 映画館に入ると、たいていの場合、始めの15分ほどは宣伝広告、新作映画紹介に割かれます。お客さんは席について間も無く、ガヤガヤ声が聞こえ、ポップコーンを手に取る音、ジュースをすする音がわりと明瞭に聞こえます。そこから、いくつかの食べ物屋の宣伝等が流れ、やがて映画紹介と進むに従って、周りが静かになっていきます。僕はこの瞬間が好きです。映画館にいることを強く実感します。実際観る映画にはなんら影響しませんが、期せずして静かになっていく様が何か非日常に入る儀式のように感じられるからかもしれません。

 少々、大げさに書いてしまいましたが、映画を観る前のウォーミングアップ的な意味合いはあるように思います。コマーシャルの後の映画紹介は映画の見所をゴリゴリと訴えます。訴求力が強そうなキャッチコピー、クライマックス寸前の映像。「こんなの好きな人集まれ!」ってな具合に恣意的なので、実際に映画を観るほど労力を必要とせず、かといってワクワクしないこともない。映画が始まるまでの肩慣らしになっています。

 気を抜いて見ているので、サラッと忘れてしまうものから、ずっと後まで記憶に残ってしまうものまでありますが、ここで得た情報でその後、鑑賞しに行くこともしばしばです。

 ただ僕の場合、その場で軽い印象だったものに、大きな期待をした結果、痛い目をみたこともありまして、その時に得た教訓が一つ提示したいと思います。

 「コマーシャルが優れた凡作に騙されるな。」(敢えて騙されたい人は別)

 映画制作会社とCM製作会社は基本的に別会社なので、実際の映画を観た時、コマーシャルと印象が違っていることはあります。配給会社にとっては観てもらってナンボ。作り手の主張がいかに強いものだろうと、チケットが売れなければ商売上がったりです。前作が不入りだった「キル・ビル vol.2(タランティーノの映画愛ごった煮)」はラブ・ストーリーというラッピングで公開されました。

 また、詰まらない映画ほど、CMに力が入れられるものです。理由が二つ考えられます。一つ、そうしないと興行が立ち行かないから配給会社がCM製作会社に力入れて作らせる。二つ、内容がスッカラカンだからコマーシャルの尺が一番映える。

 二つ目の理由ほど下らなく、自身の不覚を呪い、その後、自身への戒めも含め笑いに換えたく思うものもありません。

 供養の為に二つほど、提供させて頂きます。

「ヴァン・ダム IN コヨーテ」

砂漠の荒れた街。
一軒しかないダイナー。
二つの対立するギャング。
そんな物騒な街なのに、ダイナーで働いているのが不似合いな美人。
やっぱり抗争に巻き込まれる。
そこで真打ち登場。
まるっきり荒野の用心棒。
話に関係なく、飛行機と併走するバイク。
それに乗るヴァン・ダム。
万歳。


「ダニー・ザ・ドッグ」 DVDジャケット引用
首輪をつけられ「闘犬」として育てられたダニー。
彼は金儲けの道具として、戦うことしか知らずに生きてきた。
そんな荒んだ日々の中で、彼は盲目のピアノ調教師、サムと出会う。
音楽、そしてサムと彼の養女ヴィクトリアに触れ、ダニーは初めて、人を愛することを知る。
人生を取り戻すため、愛する人を守るため、ダニーは自ら首輪をはずす・・・!
 
 

 ここまで判りやすい作品には注意が必要です。
posted by ねこめ〜わく at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月27日

男の争い

男の争い

友人Aが映画「スコア」を観て「似たような映画が見たい」と口にしていたので、紹介します。悲しいかな、マイナー作品しか観ていないと思われているらしく、「一般的で手に入るもの!」とクギを刺されてしまいました。


あぁ、今、思い出しました。以前、バーで一人、酒を飲んでいたら、別の友人Bがたまたま女の子連れて入ってきたことを。気まずかったのか、そいつは端っこで飲んでいた僕に彼女を紹介し、僕のことは映画博士のように紹介したのですが、偏った映画好きにとって、(デートのような)一連の流れで観る映画のことは判りません。他にすることが無いから観ているだけで、正直、自分が映画好きかさえ判らないというのに。

したがって、このような状況から早いこと抜け出したいものですが、話を振られてしまっている限り、急に立ち去る訳にもいかず、ずるずると、そして友人が言った映画博士の称号を全うすべく会話に挑むのでありました。

友人の彼女は「恋に落ちたシェークスピア」の話をなさっています。キャスト、あらすじはコマーシャルで見ました。そして、コマーシャルでほとんど説明できる物語でした。しかし、僕にはその良さを語ることができません。展開は予測できても、その魅力に共感できそうも無かったので。(その後、後学の為に拝見しましたが、判らずじまいです。無念。)「イギリス女王役のおばあちゃん、迫力あるねぇ。」とか「グウィネス・パルトローはかわいい」とかくらいしか頭に浮かびません。  

物語の破綻を乗り越えるには大抵の人が持ち合わせているある種のたくましさが必要です。

『多分、人生についてもそれが必要なのだ』とその時、思いました。

その後、話は20世紀フォックスの超大作「タイタニック」に移っていったのですが、ここでも勇退、転戦を余儀なくされました。

『沈み始め、垂直近づく船の中で、より長く水上に居られる為、船尾に集まった人が、重力に我慢できず、手を離すと、回転しながら落下してゆきます。その中で、プロペラに当たった人だけが、物凄い勢いで、逆回転して、落下していくところが、凄く、面白かった。』

なんて口が裂けても言えません。後でBにどのように償えば良いのか考えるだけで・・・いや、単に考えるのがめんどうです。

このような葛藤など、お構い無しにBの彼女のBの友人に気を使ったトークが続いていきました。盛り上がらない話、悪いのは全部、僕です。ごめんなさい。

去り際のBの視線はとても冷たいものでした。『使えない奴め!』彼の目はそう語っていました。僕に何を期待しているのでしょう?

回想終了。

真っ当に生きよう。社会に少しでも打ち解けるんだ!そう考えて今日まで生きてきました。けれども、紹介する映画はやっぱりマイナーな部類に入ってしまうかもしれません。(だってこの作品が一番良いんだもの)



ストーリー    DVDジャケット引用
刑務所から帰ってきたトニーは、ギャングの仲間たちと共に宝石商の金庫破りを計画。入念な準備と作戦によって、ついに強奪は成功するが、それを知った敵対勢力はトニーの可愛がっていた少年を誘拐する。男たちの無慈悲な闘いの行方は――。
 原作はオーギュスト・ブルトンの暗黒小説、『男の争い』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ刊)。
「裸の町」「街の野獣」で都市の生涯を活写したジュールス・ダッシン監督が、<赤狩り>の憂き目にあった後に完成させたフレンチ・ノワールの傑作である。
 30分間、無言のうちに行なわれる、手に汗握る金庫破りのサスペンス、非情の撃ち合いが連鎖するクライマックス……男の人生は厳しい。


 

ついでに「スコア」についてallcinema引用
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=235076
無駄の無い職人監督のサスペンス。地味ですが良い作品です。映画に爆発、ひねた展開、エグイ描写のみを求めてしまう人には不向きかもしれません。プロは危ない橋を渡りません。仕事に対する哲学を持っていて、入念な下準備と綿密な計画を欠かしません。そこいらへんが好きな人好み。
posted by ねこめ〜わく at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月26日

キラーカーズ パリを食べた車

キラーカーズ パリを食べた車

 パリと言えばフランスですが、この作品の舞台はオーストラリア。(そういえば、ヴィム・ヴェンダースの映画で「パリ、テキサス」という佳作がりましたが、これもアメリカ、テキサス州パリ。)

 大まかにストーリー

 オーストラリアの田舎町、パリ。大変のどかに見えるこの町には、恐ろしい秘密があった。町を通る旅行者の車が次々に事故に遭い、彼らの遺留品、車のパーツが町で売り買いされているのだ。主人公のアーサーは兄と職探しの旅の途中で、事故に遭い、パリの病院で目を覚ます。その後、退院した彼は市長の家に居候することになるのだが・・・。


牧歌的なホラーでして、好みの分かれる作品だと思います。村の存在を守る為に行なわれている悪行を、その場に居ながら、力を持たない異邦人の目で捉えているのですが、サスペンスやスリラーというには切迫感が無く、突拍子もないお伽噺、寓話といった感じです。強いてカテゴライズするなら、ブラック・メルヘンかな?

このような作品は好きですが、見た夢の面白さを人に伝えることに似て、説明が難しいです。誰もが主人公を監視していて、村から出さない気持ちを持っており、彼が相談した相手まで殺されてしまうという深刻な状況で、本人も出来る範囲で一生懸命生きているのですが、設定のおさえ方がユルいのです。夢のように、現実感がありません。そこがいいのですが、説明になりません。

ジャケットの表紙になっているカッコいいハリネズミ車は本編の映像でみたら、安っぽいハリボテです。ありえないものを金欠のなか、手間とアイデアで作った感じが良いのですが、これも作品の良さを説明したことはなりませんね。

深夜枠のSFもの低予算映画を観た。それがよく出来ていた。そんな感じです。
posted by ねこめ〜わく at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月25日

THE 有頂天ホテル

 THE 有頂天ホテル


 「THE 有頂天ホテル」ウィキペディア引用
 ストーリー
 恒例のカウントダウンパーティーを2時間後に控えたホテル・アヴァンティ。申し分のない副支配人新堂は、アシスタント・マネージャーの矢部と共に、ホテル内で起る様々なトラブルを無難に解決していった。しかし、パーティーに出演する芸人の所から、腹話術用のアヒル・ダブダブが逃げ出したところから、何か歯車が狂いはじめる。そして突如現れた昔の妻を前に、つい言ってしまった嘘によって、新堂もトラブルに巻き込まれて行くのだった。
 愛人に会いに来た富豪、汚職事件でマスコミから逃げてきた悪徳代議士、逃げたアヒル、ホテル内で迷子になった総支配人、夢破れたベルボーイ、死にたがる大物演歌歌手、複雑に絡み合うトラブルの嵐。
 果たして、無事カウントダウンパーティーは開催できるのだろうか。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/THE_%E6%9C%89%E9%A0%82%E5%A4%A9%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB




 さながら大花火大会のような作品です。

 ストーリーに書かれているキャラクターだけでもずいぶんな数ですが、引用先を見て頂ければ分かるとおり、主要なキャストが2、30を超えます。それも相当、舞台をこなした名優、味のある怪優ぞろいです。これらの俳優が同じ建物の中で、さまざまな化学反応を引き起こします。一人の俳優の行動が、周りにいる複数の俳優に影響します。

 また、この映画の世界では「世間は非常に狭い」ものです。新堂が副支配人を務めるホテルにたまたま訪れる彼の別れた妻。その現在の夫とそのホテルで度々密会していた娼婦。娼婦に勇気付けられる汚職代議士。そのホテルで働く代議士の元恋人。その恋人はというと手違いから大富豪の愛人と勘違いされ、その愛人は・・・、といくつもの話の流れが入り乱れています。

 話が同時進行なので、画面に映っていない間もキャラクターは活動し続けます。ちょうど花咲く前の花火のように、すぅーっと天高く舞い上がり、気付けばあり得ないところで笑いになる。さっき観た映像がどこに繋がるのか?今観ている映像はどこに向かうのか?そのようなある種の期待を持って観てしまう映画です。

 映画館でも面白かったですが、DVDになってももう一度観たい作品です。この映画の監督、三谷幸喜の作品は特典映像も充実しています。キャンバスに描いた大きな絵を、額に収まるよう切り取ったような作風なので、収まりきらなかった部分にもたくさんの面白さが詰まっています。

 この監督が作る「居たたまれない可笑しさの連鎖」はとても好きです。役所広司演じる新堂にいたっては見栄を張って嘘を付いたばかりに、本来なら越えなくてもよい、幾つもの(本人にとっては過酷な)試練を乗り越えるはめになります。・・・こういった経験は多かれ少なかれ誰もが味わったことのあるものでしょう。しかし、その時は全神経を使って取り繕おうとしたことも、時を経ると笑い話なってしまうことが大半です。考えたら不思議ですよね。



posted by ねこめ〜わく at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月24日

ウルトラ・ヴァイオレット

 ウルトラ・ヴァイオレット

 近未来を舞台にしておりますが、このお話の骨格は「抜け忍モノ」です。

 手前味噌ながら「抜け忍モノ」を定義するとしたら、こんな感じになります。
『すねに傷を持つ者がアングラな組織に拾われて頭角を現わすも、真っ当に生きたいと願ったばかりに組織の掟に背いてしまい、組織からも、社会からも追い立てられてしまう。』


 時代劇、劇画ではお馴染みの展開ですが、何度も繰り返されるほど魅力的な型であります。

 自身の尊厳を賭けて決断した動機ほど説得力のある物語要素は少ないでしょう。ましてや、その選択で命が尽きるかもしれないとなれば、尚更のこと。その上、そのことで世界を敵にまわすことになり、かすかな光明さえ見えない、ともなれば応援するのが人の常というものです。燃える展開、嫌いですか?僕は大好きです。

 ただ、これには条件があります。観客が動機を受け入れられなければ成立し難い、ということです。製作者は動機付け関して深い描きこみが必要なります。動機が激安にしか見えなければ、誰も見ないことでしょう。また、要所、要所で作品を締める(主人公の行動を成功させ過ぎない)ことも重要です。仇役がアホ過ぎたら、作り上げた世界観すべてがぶち壊しになりますから。

 しかし、悲しいかな、きっちりした型を利用した物語ほど、手を抜いても、そこそこどうにかなるものなので、大抵の作品はこの手間や工夫が惜しまれてしまいます。

 本作もどちらかというと、描きこみが薄い作品で、そこのところがすこし残念であります。

 監督はカート・ウィマー。銃(ガン)での戦闘に武術の型(カタ)を取り入れた「ガン=カタ」というアクションを考案した方の作品なので、ストーリーに頓着するより、アクションの見得を楽しむ映画です。

 僕はイマイチ殺陣の良し悪しがよく分からない為、このアクションについてはコメントを差し控えさせて頂きます。(たとえば、北村龍平さんの作品で描かれるアクションは広く受け入れられているのでしょうか?)

 個人的にはミラ・ジョヴォヴィッチの勇姿を見られただけで満足です。以前、本作と同じようなキャラを演じたバイオ・ハザード2を観たのですが、そのDVDの特典映像には、役が乗り移ったままの状態でインタビューに答える彼女の姿が納められていました。その他の映画に使わないシーンでもまさにハイパー状態で、共演者が少し距離を取っています。誰も手が付けられません。

 役者さんの中には、撮影中は完全にそのキャラに成りきってしまうタイプの方がいらっしゃるのですが、彼女はまさにこのタイプ。毛色は違いますが「スクール・オブ・ロック」に出ていたジャック・ブラックもこのタイプです。成りきれる強さに脱帽です。
posted by ねこめ〜わく at 21:00| Comment(4) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月23日

ワールド・カップ雑感

 先日のサッカー・ワールドカップ、残念でした。

「日本はアジアの中で着実にレベルを上げてきた」と思っておりましたが、世界とのレベルの差はまだまだ大きいようですね。

 多くのサポーターが「前回より日本が強くなっている」と信じていたことと思います。「実力で本大会出場を狙える」と。

 世界最強チームとの戦い、おまけに条件がえらく厳しい最終戦まで、早朝とは思えない視聴率でした。

 素人が言っても何の説得力も持ちませんが、日本は着実に強くなっていると思います。大きく水を空けられたように見えるのは、サポーターの期待値が高くなってきていること、世界とのレベル差が具体的に解るようになったこと(それくらいにはレベルが上がった)を示すものでは無いでしょうか?

 前回は開催国だったので、アドバンテージがありました。

 こういう場合、マスメディアは基本的に煽るものです。どこの国のメディアも「自国が本戦に出場できる」と口にすることでしょう。でも、それらのことは、度が過ぎなければ問題の無いことです。実際のことは戦わなければ解りません。

 また、送り出したサムライを信じずに、彼らの成功の果実だけ享受するなんてありえない。僕たちにできることは、彼らの信じ、応援することだけです。

  ただ、マスメディアの実際以上の煽りの部分に過敏に反応することは、やっぱり、問題です。流れてくる情報には必ずベクトルがあり、マスメディアがいくら客観的になろうとしたとしても、取捨選択の時点で、バイアスはかかってしまう。さらに、彼らには視聴率という足かせがあります。間を置いて捉えることも時には必要かと。

 信じることは大切です。けれど、絶対なんて存在しません。勝つことを当然と思って、八つ当たりなんて格好悪い。本当のサポーターなら、この苦い現状を認識し、これからの彼らを見守っていくことでしょう。

 中田選手が言った「今日出た実力が今の実力」なのです。


 柳沢選手だってわざとやった訳じゃないのです。

 水をぶっかけたり、卵を投げつけたりしないで欲しいものだと思います。 彼らが一番、悔しいのですから。
 http://www.youtube.com/watch?v=gp1MqPG8M30&eurl=
posted by ねこめ〜わく at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月22日

大誘拐

 大誘拐   DVDあり

 最近、岡本喜八監督の「大誘拐」を見ました。

「大誘拐」ウィキペディア引用
あらすじ  
大阪刑務所を出所した戸並健次は、社会復帰費用を得るために誘拐を計画し、友人の秋葉正義と三宅平太を誘う。 誘拐するなんて人間のやることじゃないとしぶる二人だが、大金持ちのおばあちゃんから少し恵んでもらうだけだと言いくるめられる。 やっとのことでおばあちゃんの誘拐に成功した三人だが、身代金のあまりの少なさにおばあちゃんを怒らせてしまう。 さらに、自分たちの計画の穴を的確に指摘されてぐだぐたになってしまう三人。いつのまにか主導権はおばあちゃんに移っていた。 ここに三人を巻き込んだ、おばあちゃんと井狩警部との頭脳戦が始まる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%AA%98%E6%8B%90


 根っからの悪人が出てこない誘拐事件というのも斬新ですが、被害者が誘拐犯を指示するというのも、なかなか無いストーリーです。

 誘拐犯自体が「誘拐するなんて人間のやることじゃない。」と口にするなんてありえません。思わず笑ってしまいました。

 また、誘拐される人物が海千山千の山林王でありながら、見た目ははんなりしたおばあちゃん(北林 谷栄)ってギャップもくるものがあります。

 親族、警察、テレビ局、事件に関わる人すべてがおばあちゃんに世話になったことのある人間で、おばあちゃんの為に必死に頑張るのですが、その中心にありながらちょうど台風の目のように、穏やかで飄々としているおばあちゃんに惚れます。


 ここ最近、高齢化、高齢化と言われますが、ネガティブな側面がばかり取り沙汰され、ポジティブな側面にはあまり触れられていないように感じます。しかし、身の周りを見渡してみると、老人と呼ぶに憚られる方がいっぱいです。北林 谷栄さんのような方が新しいタイプのアイドルになっていける映画界であって欲しいと思います。夫婦50割引を実施しているなら、もっとこういう映画も作って!




・・・搾取され続けている人間の為に映画基地割引作って!



 若い頃、若かった女性にとってのアイドルになりえるか?一徳さんの演じる陰とは対照的な陽。 いつかは僕もこうなりたいものです。
 KINCHO CM情報「ふらふら」
 http://www.kincho.co.jp/cm/radio_drama/furafura.html

 



posted by ねこめ〜わく at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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